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https://www.7key.jp/data/prefectures/saitama.html#basic
位置情報地図をクリックすると、その都道府県の市町村地図が表示されます。
名称 | 埼玉県【Saitama Prefecture】 |
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団体コード / ISO 3166-2 | 11000-1 / JP-11 |
県庁所在地 | さいたま市 |
県庁所在地の情報 | 〒336-8501 埼玉県さいたま市高砂3-15-1 / 048-824-2111 |
人口(男性 / 女性) | 7,047,000人(3,548,000人/ 3,499,000人)(平成16年) |
平成12年から16年の人口増加率 | 0.26 |
総世帯数 | 2,482,374世帯(平成12年) |
面積 | 3,797.25平方km(第39位)(平成16年) |
湖沼面積 / 林野面積 | -(平成16年) / 1,230平方km(平成12年) |
人口密度 | 1,855.70人/平方km |
年間平均日照時間/降水量/気温 | 1,903時間(第10位) / 1,230mm(第41位) / 14.9℃(第27位) |
県の花 | サクラソウ |
県の木 | ケヤキ |
県の鳥 | シラコバト |
県の魚 | ムサシトミヨ |
県の動物 | ミドリシジミ |
県の歌 | 埼玉県歌 |
県民の日 | 11月14日(旧暦の1871年11月14日、廃藩置県の際に初めて埼玉県という名称が使われたことに由来。) |
隣接都道府県 | 東京都、千葉県、山梨県、群馬県、栃木県、茨城県、長野県 |
旧国名 | 武蔵(むさし) |
国立公園 | 秩父多摩甲斐(126,259ha) |
国定公園 | - |
埼玉県の公式Webサイト | http://www.pref.saitama.lg.jp/ |
https://www.7key.jp/data/prefectures/saitama.html#other
県設置当時の県庁が、南埼玉郡岩槻町(現さいたま市岩槻区)に置かれたため、その郡名から名付けられた。「さいたま」は、当時首都のあった大和国方面から見て、東山道武蔵国の国府が置かれていた多摩郡よりも前方にある事から「先多摩」「前多摩」(さきたま)と呼ばれたとする説があるが、その他諸説あり定かではない。しかし、奈良時代の『万葉集』に「前玉」「佐吉多万」(さきたま)、平安時代の『和名類聚抄』には「埼玉」「佐伊太末」(さいたま)との郡名があり、当時既に「さいたま」と呼ばれていた事がうかがえる。南東部は東京都のベッドタウンとしての性質を強く持つ一方、県北部は農地が多い。
メキシコのメヒコ州と1979年10月2日に、中国の山西省と1982年10月27日に、オーストラリアのクイーンズランド州と1984年10月27日に、アメリカのオハイオ州と1990年10月22日に、ドイツのブランデンブルク州と1998年8月26日にそれぞれ姉妹都市提携。
内陸県で、東西約103km、南北約52kmと東西方向に長い。
海に接していないため内陸性の気候となり、夏は高温多湿、冬は低温乾燥、昼夜の寒暖差が激しく、特に北部や秩父地方でその傾向が強い。
江戸時代には中山道に9つの宿場(蕨宿、浦和宿、大宮宿、上尾宿、桶川宿、鴻巣宿、熊谷宿、深谷宿、本庄宿)、日光街道(奥州街道)に6つの宿場(草加宿、越ヶ谷宿、粕壁宿、杉戸宿、幸手宿、栗橋宿)が置かれたほか、現在の吉川市が天領となった。当時川越藩は江戸北方の防衛拠点として親藩・譜代の重臣が治め、「小江戸」と呼ばれるほど栄えた。明治時代初期の廃藩置県を受けて、埼玉県(現在の中央、東部地域)、入間県(現在の西部、北部、秩父地域)が設置される。埼玉県の県庁所在地は当初岩槻町とされたが、旧浦和県庁を流用する形で浦和宿となった。入間県の県庁所在地は川越町。1873年には入間県が群馬県と合併し熊谷県となる。1876年に熊谷県は分割され、旧入間県域が埼玉県と合併、現在の埼玉県が成立する。2001年5月1日には、浦和市、大宮市、与野市の3市が合併して「さいたま市」となり、初のひらがな書きの県庁所在地が誕生する。
深谷ねぎ(深谷市)、草加せんべい(草加市)、五家宝(熊谷市)、狭山茶(狭山市・入間市・日高市ほか)、忠七めし(比企郡小川町)、おっきりこみ(秩父市、秩父郡)、蒲焼(さいたま市浦和区、川越市ほか)、雛人形(さいたま市岩槻区、鴻巣市)、和紙(比企郡小川町、秩父郡東秩父村)
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