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https://www.7key.jp/data/thought/hotoke/hotoke.html#what
仏陀は「ぶっだ」と読み仏様のことを表す。サンスクリットでの「ブッダ」が中国で音写されて「仏陀」と表記されるようになり、日本にそれが伝わり仏陀もしくは単に「仏」(ほとけ)と呼ばれるようになった。「仏陀」というと釈迦如来を指すと思われがちだが、「ブッダ」はサンスクリットで「目覚めた者」との意味を持つ。つまり、仏陀とは悟りを開いた者、つまり仏様全てを指す言葉である。確かに仏教が生まれた当時、悟りを開いたとされるのは釈迦如来だけであったため、仏陀は釈迦如来を指す言葉であった。しかし『法華経』などの経典では仏陀に近いくらい尊いとされる者のことも説かれており、釈迦如来より以前に悟りを開いた仏様がいたものと考えられ始めた。そこで案出されたのが過去仏(かこぶつ)である。過去仏には毘婆尸仏(びばしぶつ)、尸棄仏(しきぶつ)、毘舎浮仏(びしゃぶぶつ)、拘留孫仏(くるそんぶつ)、倶那含牟尼仏(くなごんむにぶつ)、迦葉仏(かしょうぶつ)があったとされ、これに現在仏である釈迦如来を加えて過去七仏と呼ぶ。この七仏が説いたとされる『七仏通戒偈』(しちぶつつうかいげ)は簡潔で解り易いとされ、『般若心経』とともに写経の対象とされている。また、この七仏だけではなく、他にも多くの過去仏が案出されている。一方、釈迦如来は自分の入滅後56億7000万年後に人々を救う次の仏陀が現れることを予言したとされる。これが未来仏だが、その弟子として直接教えを受けた弥勒菩薩が未来仏になるとされている。仏教の発展の中で大乗仏教が広がるにつれ、過去や未来に限らず、現在も釈迦如来の他に仏陀が存在すると考えられるようになった。そこで三世三千諸仏との言葉が表すように、過去・現在・未来、あらゆる時代に数多くの仏陀がいるとされた。
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「諸行無常」、「諸法無我」、「涅槃寂静」の3つを指して三法印と呼ぶ。これは仏教の基本原理とされ、釈迦如来の悟りの核心ともされている。
三法印に「一切皆苦」を加えたものを四法印と呼ぶ。一切皆苦とは、この世は全て思い通りにはならないもので、全て苦しみと受け止めるべきだということ。全ての苦しみから逃れられないことを認識していれば心を軽やかにできるといわれる。釈迦如来は生(生まれること)・老・病・死を「四苦」としている。また、愛する人と別れる「愛別離苦」、憎しみを抱いている人に会わなければならない「怨憎会苦」、自分の思い通りにならない「求不得苦」、煩悩を生じる「五蘊盛苦」の4つを四苦に加えて、四苦八苦という。
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五蘊は「ごうん」と読み、色・受・想・行・識の5つの集まりを指す。人間はこの5つの集まりからできている、というのが仏教の存在に関する考え方の1つである。「色蘊」は肉体を含む物質的構成要素を指し、「受蘊」は見る・聞く・触るなどの感受作用を指し、「想蘊」は心に想う表象作用を指し、「行蘊」は能動的な働きである意志作用を指し、「識蘊」は分別や判断などの認識、概念作用を指す。また、仏教には「四大(しだい)」との考え方があり、地・水・火・風の4つの要素が合わさり「身体」をなすとされる。更に四大に「空」を加えたものを「五大」と呼び、五大が万物の構成要素と考えられている。また、「空」の原語はサンスクリット語での「シューニャ」で、数字の「ゼロ」の原語と同じである。ただ、「空」はゼロとは少し違い、「本質的ではない」との意味が強いとされる。ゼロはどちらかといえば「無」の意味に近いのだろう。
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四諦は、釈迦が鹿野園(ろくやおん)において5人の修行者たちにはじめて教えを説いた際(初転法輪:しょてんぽうりん))の内容といわれている。「諦」はサンスクリットの「サティア」であり、真理や真実を意味する(現代では諦めや断念の意味に使われることが多い)。つまり、4つの浄らかな真理というのが四諦の意味となる。
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仏の三身とは「ほとけのさんじん」と読み、大乗仏教における仏の3つのあり方を指す(三身説)。
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仏陀が作った苦しみのない世界を仏国土と呼び、仏国土は仏陀の数だけあるとされる。西方にあるとされる阿弥陀如来の「西方極楽浄土」、東方にあるとされる阿閦如来の「東方妙喜国」、薬師如来の「東方浄瑠璃世界」などがそうである。
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仏教では現世は「苦界」と考えられ、死んだ後は生前の行いによって、次の6つの世界のいずれかに生まれ変わるとされる。この考えを輪廻(りんね)という。
この6つの世界を六道(ろくどう)と呼ぶ。六道で転生を重ね、修行とも言える生を繰り返しながら少しずつ善行を重ねていくことで、やがて輪廻から抜け出して涅槃(ねはん)の境地に倒れるとされる。また、輪廻から抜け出すことを解脱(げだつ)という。
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三界とは「さんがい」と読み、欲界・色界・無色界の三つの総称で三有とも言われる。凡夫が生死を繰り返しながら輪廻する世界を3つに分けたものとされる。
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二十五有とは「にじゅうごう」と読み、三界六道を25種に分類したもの。
無色界 | 那含天 | 天道 | |||
無想天 | |||||
四天 | 悲想非非想天(ひそうひひそうてん) | ||||
無所有処天(むしょうしょうてん) | |||||
識無辺処天(しきむへんじょてん) | |||||
空無辺処天(くうむへんじょてん) | |||||
色界 | 大梵天 | ||||
四禅 | 四禅天 | 浄居天 | 色究竟天(しきくきょうてん) | ||
善見天(ぜんけんてん) | |||||
善現天(ぜんげんてん) | |||||
無熱天(むねつてん) | |||||
無煩天(むぼんてん) | |||||
無想天(むそうてん) | |||||
広果天(こうかてん) | |||||
福生天(ふくしょうてん) | |||||
無雲天(むうんてん) | |||||
三禅天 | 光音天(こうおんてん) | ||||
無量光天(むりょうこうてん) | |||||
少光天(しょうこうてん) | |||||
二禅天 | 遍浄天(へんじょうてん) | ||||
無量浄天(むりょうじょうてん) | |||||
少浄天(しょうじょうてん) | |||||
初禅天 | 大梵天(だいぼんてん) | ||||
梵輔天(ぼんぼてん) | |||||
梵衆天(ぼんしゅてん) | |||||
欲界 | 六欲天 | 他化自在天(たけじざいてん) | |||
化楽天(けらくてん)・楽変化天(らくへんげてん) | |||||
兜率天(とそつてん) | |||||
夜摩天(やまてん) | |||||
三十三天・忉利天(とうりてん) | |||||
四天王・四大王衆天(しだいおうしゅてん) | |||||
四州 | 人道 | 北鬱単越(うつたんのつ) | 四天下 | ||
南閻浮提(えんぶだい) | |||||
西瞿耶尼(くだに) | |||||
東弗婆提(ほつばだい) | |||||
四趣 | 修羅道 | 四悪道 | |||
畜生道 | 水行 | 三悪道 | |||
陸行 | |||||
空行 | |||||
餓鬼道 | |||||
地獄道 | 等活地獄(とうかつ) | ||||
黒縄地獄(こくじょう) | |||||
衆合地獄(しゅごう) | |||||
叫喚地獄(きょうかん) | |||||
大叫喚地獄(だいきょうかん) | |||||
焦熱地獄(しょうねつ) | |||||
大焦熱地獄(だいしょうねつ) | |||||
無間地獄(むけん)/阿鼻地獄(あび) |
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大乗仏教では、悟りを求めて修行をする者すべてを菩薩と呼ぶ。この際、涅槃に到達するための修行方法は六波羅蜜(ろくはらみつ)と呼ばれる。
これらが六波羅蜜であり、涅槃への道とされる。最初の5つは「智慧」の実践と考えられ、これらの実践を通して知識が「智慧」に高まるといえる。しかし「智慧」の裏付けがないと実践はその場限りのものとなり、良い習慣、更には良い人格に結びつくことがないとされる。
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十二縁起は「十二支縁起」「十二因縁」とも呼ばれ、「無明」から始まり「老死」に至る経緯を十二の支分として表したもの。
一 | 無明 | むみょう | 「無明」の「明」は智慧のことであり、即ち無明は無知である。無知は、「仏教の教えを知らないこと」と解釈される。更に仏教では、我々の根本は無知であり、全ての欲望や煩悩の原動力が無知から来ると説く。 |
---|---|---|---|
二 | 行 | ぎょう | 無明によって生じるのが「行」である。五蘊の1つ「行蘊」との形でも説かれ、「意志作用」とされる。意志とは、行を為そうとする心の働きで、行為の原動力である。何を為すかではなく、何かを為そうとする状態、潜在的形成力と呼ばれる。 |
三 | 識 | しき | 行によって「識」が生ずる。「識→名→六処→触」は、我々の認識の形を示している。「識」自体は、心作用、認識作用とされる。 |
四 | 名色 | みょうしき | 識によって「名色」が生じる。名色とは、精神と肉体、名称と形態、認識対象とされる。 |
五 | 六処 | ろくしょ | 6つの感覚器官、眼、耳、鼻、舌、身、意。六入(ろくにゅう)とも。 |
六 | 触 | そく | 心が対象と接触すること。これにより「識」からなる認識のパターンが終了する。 |
七 | 受 | じゅ | 好き嫌いであるとか、美しい汚いであるなどの感受作用。 |
八 | 愛 | あい | ここでの「愛」は「渇愛」であり、愛欲や妄執など根本的な欲望を表す。 |
九 | 取 | しゅ | 根原的欲望が具体的な対象を得て執着となる。 |
十 | 有 | う | 生存。迷いの存在として生存するとの意味。 |
十一 | 生 | しょう | 生まれていること、生きること。ただ生まれる、生まれているのではなく、「有」として、つまり迷いの存在や輪廻の存在として生まれるということ。 |
十二 | 老死 | ろうし | 老いゆくこと、死ぬこと。愁・悲・苦・憂・悩を加える場合もある。これらを踏まえた「苦しみ」を「老死」と称する。 |
十二縁起は、我々が苦しみにいたる過程について述べたもので、釈迦が悟ったのがこの「縁起の理法」とされる。これらを順に並べ、無明に縁りて行あり(無明があるから行があり)、行に縁りて識あり、と続け、生に縁りて老死あると説く。これは「順観」と呼ばれ、十二縁起を無明を原因として老死という結果に至る過程とみることを指す。またこの場合の縁起を「流転(るてん)の縁起」と称する。逆に、老死は結果であり、その根本原因である無明を滅すれば老死も滅する。無明が滅尽すれば、行は滅尽する。行が滅尽すれば…生が滅尽すれば老死が滅尽する。このように、十二縁起を苦を滅する過程として見ることを逆観と呼び、「還滅(げんめつ)の縁起」と称する。「順観」からみれば「無明」から展開していく苦の人生の姿があり、「逆観」からみれば「無明」もなく「老死」もない悟りの世界がある。
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十三仏信仰は、室町時代から禅宗や密教で重んじられたもので、福徳や抜苦の功徳がある仏で構成されている。これらの仏は審理において実際の裁判所における弁護士の役目を勤めることとなるとされる。
元は中国の十王信仰の考え方とされる。唐代に成立した考え方で、人が亡くなると七日ごとに十王による審理が行われるとされる。初七日の秦広王の審理に始まり、五七日(三十五日目)には閻魔王が六道のどこに生まれ変わるかを決定。六七日(四十二日)では変成王が六道の中での条件を決め、七七日(四十九日)には泰山王が更に細かい条件を決定する。ここまでの四十九日間は、中陰もしくは中有と呼ばれ、死者の魂は不安定な状態でさまよっているとされる。四十九日が過ぎると満中陰と呼ばれ、一般的にはこの時期に納骨などを行うこととなる。その後、百か日、一周忌、三回忌などには救済処置ともいえる追加の審理がなされることとなる。ここで生前の罪が減らされ、地獄道や餓鬼道などから救い出されることもあるとされる。仏事の法要がこれらの日に併せて行われるのも、審理の度に十王に慈悲を乞い、罪を軽減してもらいたいとの意味をもっている。
忌日 | 本地となる仏 | 諸王 |
---|---|---|
初七日(七日目) | 不動明王 | 秦広王(しんこうおう) |
二七日(十四日目) | 釈迦如来 | 初江王(しょこうおう) |
三七日(二十一日目) | 文殊菩薩 | 宋帝王(そうていおう) |
四七日(二十八日目) | 普賢菩薩 | 五官王(ごかんおう) |
五七日(三十五日目) | 地蔵菩薩 | 閻魔王(えんまおう) |
六七日(四十二日目) | 弥勒菩薩 | 変成王(へんじょうおう) |
七七日(四十九日目) | 薬師如来 | 泰山王(たいざんおう) |
百か日(百日目) | 観世音菩薩 | 平等王(びょうどうおう) |
一周忌(一年目) | 勢至菩薩 | 都市王(としおう) |
三回忌(三年目) | 阿弥陀如来 | 五道転輪王(ごどうてんりんおう) |
七回忌(七年目) | 阿閦如来 | 蓮華王(れんげおう) |
十三回忌(十三年目) | 大日如来 | 祇園王(ぎおんおう) |
三十三回忌(三十三年目) | 虚空蔵菩薩 | 法界王(ほっかいおう) |
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それぞれの人の生まれ年によって守護仏が定められていると考えるのが守り本尊である。これは仏教と易学を合わせた考え方で、釈迦如来を中央に置き、十二支の方位ごとに仏達を振り分けたことから、八体の仏が守り本尊にあたるかたちとなっている。
生まれ年 | 守り本尊 | 法力(功徳) |
---|---|---|
子年 | 千手観音 | 慈悲 |
丑年・寅年 | 虚空蔵菩薩 | 智慧と徳 |
卯年 | 文殊菩薩 | 智慧 |
辰年・巳年 | 普賢菩薩 | 徳 |
午年 | 勢至菩薩 | 慈悲 |
未年・申年 | 大日如来 | 強い智慧 |
酉年 | 不動明王 | 強い智慧 |
戌年・亥年 | 阿弥陀如来 | 強い慈悲 |
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