釈迦如来
釈迦如来とは
- 最終更新
- 2007-06-09T00:00:00+09:00
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上座部仏教では、釈迦如来は現世における唯一の仏とみなされている。大乗仏教では三世十方諸仏の一仏で、現在の娑婆の仏とされる。また、三身説では仏が現世の人々の前に現れた姿であるとされている。釈迦牟尼仏とも言われる。
釈迦如来は仏教の始祖であり、紀元前5〜4世紀頃に生きた実在の人物とされている。釈迦(シャーキャ)族の王子としてゴータマ・シッダールタ【Gautama siddhaartha】として生まれ、29歳で出家。修行生活を続けた後、苦行では悟りを開けないと考え、菩提樹の下で瞑想に入り悟りを開いたとされる。このときシッダールタは35歳であったとされる。その後、かつて苦行をともにした仲間5人に説法をし(諸転法輪)、そこから仏教の歴史が始まったとされる。80歳で入滅した後は、無勝荘厳国(むしょうしょうごんこく)との浄土に住んでいるとされる。釈迦如来はあらゆる者を救いたいと考え、その願いが三十二相八十種好に現れている。他の如来は釈迦如来の教えを具現化した存在とも言えるため、釈迦如来の容姿は他の如来のモデルにもなっている。
『法華経』の中では、釈迦如来はシッダールタとして生まれてくる以前にも仏陀となっていたとされる。皆は、菩提樹の下ではじめて悟りを開いたと思っているようだが、本当は無量無辺百千万億那由他劫の昔に仏陀になっていた
と説いているなど、シッダールタは説法の中で自分の前世を語ることが多かったとされる。
釈迦如来の姿
- 誕生仏
- シッダールタの誕生の様子を示したものであり、右手で天を指して左手で地を指す「天上天下唯我独尊」のポーズをとる。
- 苦行像
- 出家後の苦行によって痩せ細った姿で表現されることもある。
- 出山釈迦像
- 苦行をやめて瞑想に入ることを決意したときの姿。
- 降魔成道像
- 全ての煩悩を断ち切り、悟りを開いたときの姿とされる。煩悩を抑えるために降魔坐をとる場合が多い。
- 初転法輪像
- 悟りを開き、最初の説法を行ったときの姿。
- 涅槃像
- 沙羅双樹の下で頭を北に右脇を下にし、涅槃のときを待つ姿。
釈迦如来の手が結ぶ印
- 右手で施無畏印、左手で与願印を結ぶかたちが最も多いとされる。
- 降魔印
- 説法印
- 定印
釈迦如来の十大弟子
釈迦の10人の主要な弟子。経典によって誰が十大弟子に入るかは異なるが、維摩経では以下の通り。
- 舎利弗(しゃりほつ)
- パーリ語で「サーリプッタ【saariputta】」、サンスクリットで「シャーリプトラ【Zaariputra】」。舎利子とも書く。智慧第一。般若心経では仏の説法の相手として登場する。
- 摩訶目犍連(まかもっけんれん)
- パーリ語で「マハーモッガラーナ【mahaamoggallaana】」、サンスクリットで「マハーマゥドガリヤーヤナ【Mahamaudgalyāyana】」。一般に目連と呼ばれる。神通第一。舎利弗とともに懐疑論者サンジャヤ・ベーラッティプッタの弟子であったが、ともに仏弟子となった。中国仏教では目連が餓鬼道に落ちた母を救うために行った供養が盂蘭盆会 の起源だとしている。
- 摩訶迦葉(まかかしょう)
- パーリ語で「マハーカッサパ【Mahaakassapa】」、サンスクリットで「マハーカーシャパ【Mahakasyapa】」。大迦葉とも呼ばれる。頭陀第一。釈迦の死後その教団を統率し、500人の仲間とともに釈迦の教法を編集(第一結集)。付法蔵の第一祖となった。
- 須菩提(しゅぼだい)
- サンスクリットで「スブーティ【Subhuuti】」。解空第一。「空」を説く大乗経典にしばしば登場。西遊記では孫悟空の師匠として登場。
- 富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし)
- サンスクリットで「プールナマイトラーヤニープトラ【puurNamaitraayaniiputra】」。略称として「富楼那」。説法第一。
- 摩訶迦旃延(まかかせんねん)
- パーリ語で「マハーカッチャーナ【mahaakaccaana】」。論議第一。
- 阿那律(あなりつ)
- サンスクリットで「アニルッダ【aniruddha】」。天眼第一。釈迦の従弟で、阿難とともに出家。仏の前で居眠りをして叱責されて眠らぬ誓いをたてた。そのため視力を失ったがかえって真理を見る眼をえた。
- 優波離(うぱり)
- サンスクリットで「ウパーリ【upaali】」。持律第一。元理髪師。第一結集においては彼の記憶に基づいて戒律が編纂された。
- 羅睺羅(らごら)
- サンスクリットで「ラーフラ【raahula】」。羅云とも書かれる。密行第一。釈迦の息子。釈迦の帰郷に際し出家して最初の沙弥(少年僧)となる。これにちなみ、日本では寺院の子弟のことを仏教用語で羅子(らご)と呼ぶ。
- 阿難(あなん)
- サンスクリットで「アーナンダ【aananda】」。多聞第一。釈迦の従弟。阿難陀とも。出家して以来釈迦が死ぬまでの25年間、釈迦の世話をした。第一結集のとき、彼の記憶に基づいて経が編纂された。120歳まで生きたとされる。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年08月26日 最終更新:2007年08月26日