第79番札所 金華山天皇寺
金華山天皇寺の基本情報
- 最終更新
- 2007-05-21T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/shikoku88/s79_tennouzi.html#basic
- 正式名称と通称
- 金華山高照院 天皇寺(きんかざん てんのうじ)/通称:高照院、天皇さん
- 本尊と宗派、開基
- 十一面観世音菩薩 / 真言宗御室派 / 弘法大師
- 真言
- オンマカ キャロニキャ ソワカ
- 御姿
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- 御詠歌
- 唱え奉る 四国霊場 第79番 金華山 天皇寺 の御詠歌に
- 十楽の 浮き世の中を 訪ぬべし 天皇さえも さすらいぞある(じゅうらくの うきよのなかを たずぬべし てんのうさえも さすらいぞある)
- 所在地と電話番号
- 〒762-0021:香川県坂出市西庄町字天皇1713-2(0877-46-3508)
- 前札所と次札所
- 前札所:第78番札所 郷照寺(6.3km)/次札所:第80番札所 国分寺(6.8km)
- 交通と駐車場
- 徒歩:郷照寺→国道11号線→坂出→天皇寺
- 郷照寺から徒歩5分、琴参バス高松行:宇多津駅前→西の庄(10分)、下車後徒歩(300m)
- JR予讃線八十場駅下車。徒歩5分。
- 駐車場:無料(5台:境内まですぐ)
- 宿泊
- 宿坊100人
金華山天皇寺のその他情報
- 最終更新
- 2007-05-21T00:00:00+09:00
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歴史と謂れ
宇多津から坂出の市街へ入ると右に金山があり、そのふもとに日本武尊ゆかりの泉がある。八十八の水とも八十場(矢蘇場の水)ともいわれ、日本武尊が瀬戸内海の怪魚を退治しに向かった88人の兵士と共に怪魚に船を呑まれて倒れたとき、横潮明神が泉の水を持ってあらわれてその水を兵士に飲ませると全員が命を吹き返して助かったとの伝説がある。弘法大師がこの泉の附近を巡錫中に霊感を得て、近くの霊木で十一面観音像と阿弥陀如来、愛染明王の三尊像を刻み、堂宇を建てて安置した。また、大師は薬師如来を刻んで八十八の泉の水源に安置し、八十八の水をもって閼伽井として秘法を修したが、山の鎮守金山権現があらわれてそれに舎利を感得したため、金華山摩尼珠院妙成就寺と号したとされる。後の保元の戦乱(1158年)で寺は焼失し、近くの高照院を移し再建したことから高照院とよばれるようになった。長寛2年(1164年)、保元の乱にやぶれて讃岐国に配流され、この寺にいた崇徳上皇が歌会へ出席する途中に亡くなられた。朝廷から令旨を仰ぐまでの21日間、八十八の泉に遺体が傷まないよう仮安置され、やがて白峰山で茶毘にされた。その後、上皇の冥福を祈願して崇徳天皇社が建立され、当院はその神宮寺となった。天皇家縁の寺ということで天皇寺と呼ばれるようになったといわれる。後に3万坪の寺領を有す大寺となったが、天正年間に長宗我部勢の兵火により焼失。跡地に摩尼珠院筆頭末寺の高照院が移建され、本尊を移して天皇寺高照院と号した。現在寺は白峰宮の手前にある。
堂塔
- この寺には山門は無く赤い鳥居があり、昔は崇徳天皇杜の神宮寺であった歴史がうかがえる。
その他
行事
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その他の情報
- 伝説の八十八の霊水は、今でも湧き続けている。
- 江戸時代には朝廷と讃岐藩主松平家の庇護を受け復興し、朝廷からの祭事料奉納用の菊花の紋入り三方と、松平家からの葵の紋入り三方が寺に伝わっている。明治初年、神仏分離により崇徳天皇社と天皇寺は分離。現在、崇徳天皇社は白峰宮となっている。
- この寺のあたりを「天皇」との地名で呼ぶようになったが、恐れ多いとされて現在は「八十場」と呼ばれている。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年05月21日 最終更新:2007年05月21日