第54番札所 近見山延命寺

広告

広告

近見山延命寺 - 四国霊場八十八箇所資料集での納経帳への朱印

近見山延命寺の基本情報

最終更新
2007-05-21T00:00:00+09:00
この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/shikoku88/s54_enmeizi.html#basic
正式名称と通称
近見山宝鐘院 延命寺(ちかみざん えんめいじ)/通称:阿方の延命さん
本尊と宗派、開基
不動明王 / 真言宗豊山派 / 行基菩薩
真言
ナウマクサンマンダ バダラダンセンダ マカロシヤダ ソワタヤウンタラタ カンマン
御姿
近見山延命寺 - 四国霊場八十八箇所資料集の御姿 本尊のカラーイメージ
御詠歌
唱え奉る 四国霊場 第54番 近見山 延命寺 の御詠歌に
くもりなき鏡の縁とながむれば 残さず影をうつすものかな(くもりなき かがみのえんと ながむれば のこさずかげを うつすものかな)
所在地と電話番号
〒794-0081:愛媛県今治市阿方甲636(0898-22-5696)
前札所と次札所
前札所:第53番札所 円明寺(34.5km)/次札所:第55番札所 南光坊(3.5km)
交通と駐車場
徒歩:円明寺→堀江→北条→菊間→大西→延命寺
円明寺から徒歩1分、JR予讃本線:和気→大西(1時間)、せとうちパス今治営業所行:大西→阿方(7分)、下車後徒歩(400m)
JR予讃線今治駅下車。大西・菊間行きバス9分(阿方下車)。徒歩7分。
駐車場:100円(20台:境内まですぐ)
宿泊
宿坊なし

近見山延命寺のその他情報

最終更新
2007-05-21T00:00:00+09:00
この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/shikoku88/s54_enmeizi.html#other

歴史と謂れ

行基が不動明王を刻み、近見山にある七堂伽藍を創建したのが始まりとされる。その後寺は荒廃するが、平安時代に弘法大師が嵯峨天皇の勅願により来錫。堂宇を再建して近見山円明寺と名付け、信仰と学問の中心道場とした。文永5年(1268年)、この寺の西谷坊で生前に国師の号を賜ったほどの大学僧示観国師凝然が、学僧の教科書ともいえる「八宗綱要」千二百余巻を書き上げた。一時百坊が谷々にあるなど寺は栄えたが、度重なる兵火にかかりそのたびに移転し、寺勢は衰える。さらに、天正年間の兵火にあい、亨保12年(1727年)に現在の場所に移され、本堂は昭和3年に移転新築された。当初は円明寺だったが、明治維新後第53番札所円明寺と同じ寺号のため、それまで俗称とされてきた「延命寺」に改号された。

堂塔

延命寺の仁王門

境内には不動明王、十二諸尊、西国三十三カ所の観音様、薬師如来坐像、阿弥陀如来像、びんずる尊師が祀られているほか、含霊堂に明治初期より全国永代供養の霊碑が祀られている。

梵鐘

近見太郎との鐘に名前が付けられている。宝永元年(1704年)、当時の住職の私財で鋳造されたもの。それ以前の梵鐘は戦乱の合図の鐘に使われ、夜になると叩かないのに「いぬるいぬる」と鳴くと恐れられた。また、松山城へ持出されそうになった際「イヤーン、イヤーン」と鳴くために置き去りにされたといわれている。現在の鐘は三代目(三郎)で、二代目(二郎)は大晦日の除夜の鐘で披露される。

山門

今治城の総欅造りの城門の1つを譲り受けたもの。

行事

毎年8月7日には、越智孫兵衛の慰霊祭が行われている。

その他の情報

広告

Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年05月21日 最終更新:2007年05月21日