第53番札所 須賀山円明寺
須賀山円明寺の基本情報
- 最終更新
- 2007-05-21T00:00:00+09:00
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https://www.7key.jp/data/shikoku88/s53_enmyouzi.html#basic
- 正式名称と通称
- 須賀山正智院 円明寺(すがざん えんみょうじ)/通称:和気の円明さん
- 本尊と宗派、開基
- 阿弥陀如来 / 真言宗智山派 / 行基菩薩
- 真言
- オン アミリタ テイゼイ カラウン
- 御姿
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- 御詠歌
- 唱え奉る 四国霊場 第53番 須賀山 円明寺 の御詠歌に
- 来迎の弥陀の光の円明寺 照りそう影は夜な夜なの月(らいごうの みだのひかりの えんみょうじ てりそうかげは よなよなのつき)
- 所在地と電話番号
- 〒799-2656:愛媛県松山市和気町1-182(089-978-1129)
- 前札所と次札所
- 前札所:第52番札所 太山寺(2.3km)/次札所:第54番札所 延命寺(34.5km)
- 交通と駐車場
- 徒歩:太山寺→円明寺
- 太山寺から徒歩1分、伊予鉄バス松山行:太山寺→和気(6分)
- JR予讃線伊予和気駅下車。徒歩5分。
- 駐車場:無料(15台:境内まですぐ)
- 宿泊
- 宿坊なし
須賀山円明寺のその他情報
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歴史と謂れ
聖武天皇の勅願所として、天平勝宝元年(749年)に行基が阿弥陀如来像を刻み安置したのが開基。和気の海浜西山に創建したため、海岸山円明密寺と号し、五重塔をはじめ七伽藍堂を備えた大寺として栄えた。その後弘法大師が巡錫し、諸堂を整えて霊場と定めたが、鎌倉時代の度重なる兵火により焼失。寺は滅びかけたが、寛永10年(1633年)に豪族須賀専斎重久がその私財をもって現在の地に再建したといわれる。寛永13年(1636年)には御室の宮覚法親王の命旨を受けて仁和寺の直末となり、須賀山正智院円明寺と号した。
堂塔
民家に囲まれた町中の寺で、山門、楼門、本堂、大師堂、観音堂が狭い境内に建ち並ぶ。
キリシタン灯篭
地蔵菩薩像
行事
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その他の情報
- 四国遍路に関心の深かったアメリカシカゴ大学のスタール博士は、大正13年に八十八箇所を巡拝した。その折、円明寺の本尊厨子に打ちつけてあった鋼板の納札を高く評価した。以来円明寺は納札のある寺として知れわたり、スタール博士は「お札博士」といわれた。この納札は慶安3年(1650年)に京都の住人家次が巡拝中打ちつけたもので、札には「四国仲遍路同行二人 平人家次」と銘がある。日本最古の納札で、遍路の歴史を知る上で貴重な資料とされる。
- 山門入って左手奥に、寛永年間に建立されたといわれるマリアの像を浮き彫りにした石塔がある。高さは40cmほどで、キリシタン禁制の江戸時代に隠れキリシタンが信仰していた。寺は、隠れキリシタンの礼拝を黙認していたようである。
- 本堂の中には、長さ4mほどの巨大な龍の彫り物が施されている。一説には名工・左甚五郎の作といわれている。
- 本堂の外に、びんずる尊師が祀られている。お酒が大好きな尊師はお釈迦様の教えで禁酒を約束をしたが、尊師はそれを破ってしまい、本堂に入れてもらえないとされる。
- 大師堂の色鮮やか天井絵は平成に入って描かれた。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年05月21日 最終更新:2007年05月21日