第49番札所 西林山浄土寺
西林山浄土寺の基本情報
- 最終更新
- 2007-05-21T00:00:00+09:00
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- 正式名称と通称
- 西林山三蔵院 浄土寺(さいりんざん じょうどじ)/通称:-
- 本尊と宗派、開基
- 釈迦如来 / 真言宗豊山派 / 恵明上人
- 真言
- ナウマク サンマンダ ボダナンバク
- 御姿
-
- 御詠歌
- 唱え奉る 四国霊場 第49番 西林山 浄土寺 の御詠歌に
- 十悪のわが身を捨てずそのままに 浄土の寺へまいりこそすれ(じゅうあくの わがみをすてず そのままに じょうどのてらへ まいりこそすれ)
- 所在地と電話番号
- 〒790-0925:愛媛県松山市鷹子町1198(089-975-0173)
- 前札所と次札所
- 前札所:第48番札所 西林寺(3.1km)/次札所:第50番札所 繁多寺(1.6km)
- 交通と駐車場
- 徒歩:西林寺→久米→八幡宮→浄土寺
- 西林寺から徒歩1分、伊予鉄バス松山行:西林寺前→久米(15分)、下車後徒歩5分、伊予鉄バス鷹子温泉行:松山駅→鷹子温泉(27分)、下車後徒歩(200m)
- 伊予鉄道久米駅下車。徒歩5分。
- 駐車場:普通車200円(15台:境内まですぐ)
- 宿泊
- なし
西林山浄土寺のその他情報
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歴史と謂れ
天平勝宝年間、恵明上人によって釈迦如来を本尊として安置され開基。孝謙天皇の勅願寺として、盛期には寺領広大、六十六坊の末寺をもつ大寺であった。弘法大師が来錫した当時は荒廃しており、伽藍を建立して再興。鎌倉時代には源頼朝が再興したが、応永4年(1397年)には兵火によって堂宇を焼失。その後も焼失と再興を繰り返し、文明14年(1482年)に伊予の領主河野通宣が再建し、現在の本堂はその時に創建されたもの。その後、慶安2年(1649年)の大修理などを行い今日に至る。
堂塔
本堂
大正11年建立の仁王門を入れば、正面に寄棟造りの本堂がある。浄土寺の本堂は室町時代に建立されたもので、国の重要文化財に指定されている。堂内には本尊の厨子が保存されている。また、室町時代から江戸時代にかけて、お遍路さんが書いた落書きが残っている。
その他
行事
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その他の情報
- 天徳年間(957〜960)、空也上人が四国へ渡り浄土寺に3年間とどまって民衆の教化に励んだ。空也上人は念仏踊りの開基で、南無阿弥陀仏の念仏を世に広め全国を行脚した人物。京都の六波羅密寺を開き、「民衆を弥陀により済度せん」となりふり構わず全国を廻り、念仏を唱え人々の苦しみを救ったとされる。浄土寺にある上人像は、上人がこの地を去るにあたり、村人が姿だけでも留められるようにと懇願したため、上人が自像を刻んで残したものといわれ寺宝とされている。本堂に安置されてる上人像は左手に鹿杖を持っている。また、上人像の口からは6体の小さな仏像が出ており、「南無阿弥陀仏」の6文字を意味しているという。
- 近在の人々はこの一帯を「空也谷」と呼ぶ。
- 境内には空也上人が植えたとされる、巨大な松の切り株が朽ちながらも残っている。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年05月21日 最終更新:2007年05月21日