第48番札所 清瀧山西林寺
清瀧山西林寺の基本情報
- 最終更新
- 2007-05-21T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/shikoku88/s48_sairinzi.html#basic
- 正式名称と通称
- 清滝山安養院 西林寺(せいりゅうざん さいりんじ)/通称:-
- 本尊と宗派、開基
- 十一面観世音菩薩 / 真言宗豊山派 / 行基菩薩
- 真言
- オンマカ キャロニキャ ソワカ
- 御姿
-
- 御詠歌
- 唱え奉る 四国霊場 第48番 清滝山 西林寺 の御詠歌に
- 弥陀仏の世界をたずね行きたくば 西の林の寺にまいれよ(みだぶつの せかいをたずね ゆきたくば にしのはやしの てらにまいれよ)
- 所在地と電話番号
- 〒791-1111:愛媛県松山市高井町1007(089-975-0319)
- 前札所と次札所
- 前札所:第47番札所 八坂寺(4.5km)/次札所:第49番札所 浄土寺(3.1km)
- 交通と駐車場
- 徒歩:八坂寺→久谷小→河原→西林寺
- 八坂寺から徒歩6分、伊予鉄バス松山行:八板寺前→森松(16分)、伊予鉄バス松山行:森松→西林寺前(6分)
- 伊予鉄道久米駅下車。田窪行きバス12分(高井局下車)。徒歩10分。
- 駐車場:無料(30台:境内まですぐ)
- 宿泊
- なし
清瀧山西林寺のその他情報
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- 2007-05-21T00:00:00+09:00
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歴史と謂れ
天平13年(741年)、聖武天皇の勅願によって行基が現在の松山市小野播磨塚近くに開基。国司越智宿称玉純と共に一宇を建立し、本尊の十一面観音を行基が刻み安置したといわれる。大同2年(807年)には、四国巡錫中の弘法大師がこの寺に留錫し、当時の国司越智宿称実勝と共に寺を現在の地に移し、伽藍を再興した。同時に四国霊場に定め、国家安泰を祈願する道場に定めたといわれている。寛永年間、火災により堂宇を焼失。元禄13年(1700年)に、松平隠岐守をはじめとする代官や奉行らによって一部が再建された。さらに宝永4年(1707年)には西林寺中興の祖である覚栄法印により本堂と鐘楼が再建され、文化10年(1813年)には大師堂、天保14年(1843年)には仁王門が再建された。
堂塔
一願地蔵
水子地蔵
行事
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その他の情報
- 西林寺は川の土手よりも低い所にあり、罪深い人が境内に入った場合は無間地獄に落ちるといわれ、伊予の関所寺とも呼ばれる。
- 大師巡錫の折、干ばつが続き人々は水に困っていた。たまたま老婆が遠方から水を運んでいるのを見た大師は、一杯の水を乞うた。老婆は惜し気もなくその水を大師に差しだし、その真心に打たれた大師は手に持った杖で地面を叩き祈りを捧げた。すると、たちまち水がわき出て淵となり、それ以来、そこには絶えることなくこんこんと清水がわき続けている。付近の人は、西林寺の南西150mにあるこの伝説の場所を「杖の淵」と呼んでいる。杖の淵の水は日本名水百選に選ばれており、飲み水として汲みに来る人が絶えない。
- 閻魔堂前に生えている「孝行竹」、別名「親子竹」は、生え広がらず寄り添うように生える。これに祈ると家庭円満の願いを叶えてくれるといわれ信仰も厚い。
- 境内の隅には木々に囲まれた池があり、その上に鎮座するのが一願地蔵。このお地蔵様に祈願すると、1つだけ願いを叶えてくれるとされる。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年05月21日 最終更新:2007年05月21日