第50番札所 東山繁多寺
東山繁多寺の基本情報
- 最終更新
- 2007-05-21T00:00:00+09:00
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https://www.7key.jp/data/shikoku88/s50_hantazi.html#basic
- 正式名称と通称
- 東山瑠璃光院 繁多寺(ひがしやま はんたじ)/通称:-
- 本尊と宗派、開基
- 薬師如来 / 真言宗豊山派 / 行基菩薩
- 真言
- オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ
- 御姿
-
- 御詠歌
- 唱え奉る 四国霊場 第50番 東山 繁多寺 の御詠歌に
- よろずこそ繁多なりとも怠らず 諸病なかれと望み祈れよ(よろずこそ はんたなりとも おこたらず しょびょうなかれと のぞみいのれよ)
- 所在地と電話番号
- 〒790-0912:愛媛県松山市畑寺町32(089-975-0910)
- 前札所と次札所
- 前札所:第49番札所 浄土寺(1.6km)/次札所:第51番札所 石手寺(2.5km)
- 交通と駐車場
- 徒歩:浄土寺→八幡宮→ファミリー温泉→浄水場→繁多寺
- 浄土寺から徒歩5分、伊予鉄バス松山駅前:→ファミリー温泉→畑寺(4分)、下車後徒歩(600m)
- 伊予鉄道久米駅下車。津田団地行きバス(繁多寺口下車)。徒歩10分。
- 駐車場:無料(10台:境内まですぐ)
- 宿泊
- なし
東山繁多寺のその他情報
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- 2007-05-21T00:00:00+09:00
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歴史と謂れ
天平勝宝年間、孝謙天皇の勅願による行基の開基で、本尊の薬師如来は行基によって刻まれたもの。その後、伊予入道頼義や尭運によって再興され、当時の寺号は光明寺であったとされる。その後、弘仁年間に弘法大師がこの寺に留錫し、四国霊場に定めた。そのおりに寺号を光明寺から繁多寺に改めたとされる。その後寺は荒廃したが、弘安2年(1279年)に元寇の退散祈願の勅命を受けて聞月上人が再興。応永元年(1394年)には、後小松天皇の意向で七皇室の菩提寺京都泉涌寺の快翁和尚が第七世住職を務める。それ以来、この寺は高僧が住職となったことで知られ、天和年間には名僧龍湖が住職を務めた。徳川家の帰依を受け寺運は隆盛し、六十六坊と末寺数百余を有する大寺として栄えたとされる。
堂塔
なだらかな坂を登ると右手淡路山の中腹に山門がみえてくる。門を入れば正面に本堂、右に大師堂、左に聖天堂、庫裡がある。
歓喜天堂
四代将軍徳川家綱の念持仏といわれる歓喜天が祀られている。龍湖は徳川家の帰依を得て、徳川家綱の念持仏三体のうち一体の歓喜天をこの寺に祀ったとされる。歓喜天堂は厄除けや商売繁盛、合格祈願に御利益があるとされ信仰が厚い。ただし、一生涯拝み続けないと罰があたるといわれている。
その他
行事
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その他の情報
- 時宗の開祖である一遍上人の修行の道場としても知られている。上人は伊予の名門河野一族の河野通広の次男として生まれ、13歳で出家して太宰府の聖達上人の弟子となった。上人がこの寺にいたのは、修行を終えて帰郷した頃といわれている。正応元年(1288年)、亡き父追善のため「三部経」を繁多寺に奉納。この翌年、一遍上人は兵庫県の観音堂で生涯を閉じた。享年五十一。
- 石段の下には、弁財天を祀った小さな池がある。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年05月21日 最終更新:2007年05月21日