第40番札所 平城山観自在寺
平城山観自在寺の基本情報
- 最終更新
- 2007-05-21T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/shikoku88/s40_kanzizaizi.html#basic
- 正式名称と通称
- 平城山薬師院 観自在寺(へいじょうざん かんじざいじ)/通称:-
- 本尊と宗派、開基
- 薬師如来 / 真言宗大覚寺派 / 弘法大師
- 真言
- オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ
- 御姿
-
- 御詠歌
- 唱え奉る 四国霊場 第40番 平城山 観自在寺 の御詠歌に
- 心願や自在の春に花咲きて 浮世逃れて住むやけだもの(しんがんや じざいのはるに はなさきて うきよのがれて すむやけだもの)
- 所在地と電話番号
- 〒798-4110:愛媛県南宇和郡愛南町御荘平城2253-1(0895-72-0416)
- 前札所と次札所
- 前札所:第39番札所 延光寺(29.8km)/次札所:第41番札所 竜光寺(47.7km)
- 交通と駐車場
- 徒歩:廷光寺→宿毛大橋→宇和田→一本松→奈路→深浦→城辺→御荘→観自在寺
- 延光寺から徒歩15分、高知県交通宿毛行:平田(寺山口)→宿毛(14分)、宇和島バス宇和島行急行:宿毛→御荘(38分)、下車後徒歩(200m)
- JR予讃線宇和島駅下車。宿毛行きバス1時間10分(平城札所下車)。徒歩3分。
- 駐車場:無料(20台:境内まで徒歩3分)
- 宿泊
- 宿坊300人(3800円)、休業中
平城山観自在寺のその他情報
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歴史と謂れ
平城天皇の勅願所として、大同2年(807年)4月に弘法大師が開創した。後に平城天皇は落髪し、弘仁13年(822年)に弘法大師が潅項を授けた。本尊の薬師如来と脇仏の阿弥陀如来、十一面観世音菩薩の三体尊像は、大師が一本の霊木から刻んだと伝えられている。歴代天皇の信仰が厚く、特に平城天皇、嵯峨天皇は御朱印を下し、一切経と大般若経を納めただけではなく、毎年勅使を下向させて護摩供を修した。そのため、この地方を「御荘」、寺のある町は「平城」と呼ばれているとされる。かつては七堂伽藍を備え、四十坊の末寺を有すほど寺運は隆盛を迎えた。寛永15年(1638年)には京都の空性法親王が巡拝されて薬師院の号を受け、宇和島藩主伊達宗利の勅願所にもなった。しかしたび重なる災禍により衰退。延宝6年(1678年)に再建されたが、さらに昭和34年の火災で本堂を焼失。昭和39年に大師創建当時の姿に再建された。
堂塔
山門
総欅造の山門で、御荘町の文化財に指定されている。天井の方位盤は特に有名である。仁王像は下久家の大工の作、また現在の額は高野山四百一世座主の筆によるもの。
その他
行事
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その他の情報
- 第1番霊山寺から最も遠くに位置することから、「四国霊場の裏関所」と呼ばれている。
- 弘法大師が本尊や脇仏を彫った残りの霊木で、舟形の南無阿弥陀仏の名号を刻んだとされる。この宝判は、大師が諸人の病根を除くことを祈願(病気平癒、厄除諸難消除)したものといわれ、現在も本堂前に「弘法大師御自作の御宝印守を是非お受けください」と書かれた札が立っている。体にこすると様々な御利益が受けられると信仰を集めている。
- 平城天皇の御陵に五輪塔があり、「春の夜の籠人ゆかし堂のすみ」と記した芭蕉の句碑がある。
- 昭和53年、四国霊場巡拝者の希望により八体仏十二支守り本尊が彫刻されたものがある。参拝者は水をかけ、自分の願いを成就させる。
- かつて観自在寺には平城天皇手植えの松といわれる舌木があったが、昭和19年の台風で倒れてしまう。その後、その切り株の中に昭和天皇の御手植えを頂き、古の面影を今に伝えている。
- 回廊には四国八十八箇所の砂を敷き詰めてあり、 四国八十八箇所のお砂巡りをすることができる。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年05月21日 最終更新:2007年05月21日