第73番札所 我拝師山出釈迦寺
我拝師山出釈迦寺の基本情報
- 最終更新
- 2007-05-21T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/shikoku88/s73_syussyakazi.html#basic
- 正式名称と通称
- 我拝師山求聞持院出釈迦寺(がはいしざん しゅっしゃかじ)/通称:-
- 本尊と宗派、開基
- 釈迦如来 / 真言宗御室派 / 弘法大師
- 真言
- ナウマク サンマンダ ボダナンバク
- 御姿
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- 御詠歌
- 唱え奉る 四国霊場 第73番 我拝師山 出釈迦寺 の御詠歌に
- 迷いぬる 六道衆生 救わんと 尊き山に 出ずる釈迦寺(まよいぬる ろくどうしゅじょう すくわんと とうときやまに いずるしゃかでら)
- 所在地と電話番号
- 〒765-0061:香川県善通寺市吉原町1091(0877-63-0073)
- 前札所と次札所
- 前札所:第72番札所 曼荼羅寺(0.6km)/次札所:第74番札所 甲山寺(2.8km)
- 交通と駐車場
- 徒歩:曼荼羅寺→出釈迦寺(600m程度であり、交通の便はなし)
- JR予讃線善通寺駅下車。詫間経由観音寺行きバス12分(吉原下車)。徒歩25分。
- 駐車場:普通車200円(10台:境内まで徒歩2分)
- 宿泊
- 宿坊なし
我拝師山出釈迦寺のその他情報
- 最終更新
- 2007-05-21T00:00:00+09:00
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歴史と謂れ
この寺の奥之院、我拝師山の山頂に捨身ヶ嶽禅定がある。昔は倭斯濃山と称されたと言われる。出釈迦寺の境内から1.8kmほどの道程で、さらにその先に石の護摩壇と稚児大師像が立っている。そこが幼少の弘法大師が身を投げた行場であるとされる。大師の和讃に「御年七つのその時に 衆生の為に身を捨てて 五つの嶽に立つ雲の たつる誓いぞ頼もしき」とあるように、大師が7歳のおりに寺の裏山に登り、「我、一切の衆生を済度せん(仏道に入って衆生を救いたい。成就するなら霊験をあたえよ、さもなげればこの身を諸仏に捧げる)」と言って山の上から谷底に飛び降りた。するとこのとき釈迦如来と天女が現れ、雲上に大師を抱きとめて「一生成仏」の宣を受けたとされる。大師は感激し、後に釈迦如来像を刻んで本尊として堂宇を建立し、出釈迦寺と号した。釈迦が山にこもって苦行をし、山から下り痩せ衰えた姿を「出山の釈迦」と呼ぶため、寺号はそれから付けられたとされる。また、このとき倭斯濃山を我拝師山に改めたともいわれる。
堂塔
山門をくぐると正面に本堂がある。その右手に大師堂があり、左手の石段を少し登ったところに捨身ヶ岳遥拝所がある。
捨身ヶ岳遥拝所
行事
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その他の情報
- 捨身ケ嶽騨定は、大師が超記憶法の求聞持法を修めたとされる、我拝師山の頂上に建つ出釈迦寺の奥之院。境内から約1.8kmあり、歩いて約40分の山道を登る。奥之院には釈迦如来と不動明王、弘法大師像が安置され、さらに100m先には石の護摩壇と稚児大師像が立っており、そこが大師が身を投げた行揚。鎖を使って岩場を登れば、下は谷底である。
- 奥之院遙拝所は、捨身ケ嶽禅定に登れない人が参詣するところ。本堂の左側にある石段を登ったところにある。ここで念仏を唱えれば、捨身ケ嶽禅定に参詣するのと同じ御利益が得られるとされる。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年05月21日 最終更新:2007年05月21日