第74番札所 医王山甲山寺
医王山甲山寺の基本情報
- 最終更新
- 2007-05-21T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/shikoku88/s74_kouyamazi.html#basic
- 正式名称と通称
- 医王山多宝院 甲山寺(いおうざん こうやまじ)/通称:-
- 本尊と宗派、開基
- 薬師如来 / 真言宗善通寺派 / 弘法大師
- 真言
- オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ
- 御姿
-
- 御詠歌
- 唱え奉る 四国霊場 第74番 医王山 甲山寺 の御詠歌に
- 十二神 味方に持てる 戦には 己と心 兜山かな(じゅうにじん みかたにもてる いくさには おのれとこころ かぶとやまかな)
- 所在地と電話番号
- 〒765-0071:香川県善通寺市弘田町1765-1(0877-63-0074)
- 前札所と次札所
- 前札所:第73番札所 出釈迦寺(2.8km)/次札所:第75番札所 善通寺(1.6km)
- 交通と駐車場
- 徒歩:出釈迦寺→曼荼羅寺→甲山寺
- 曼荼羅寺から徒歩5分、JRバス善通寺行:三井ノ江→朝比奈(2分)、下車後徒歩7分(500m)
- JR予讃線善通寺駅下車。観音寺行きバス8分(朝比奈グランド前下車)。徒歩10分。
- 駐車場:無料(30台:境内まですぐ)
- 宿泊
- 宿坊なし
医王山甲山寺のその他情報
- 最終更新
- 2007-05-21T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/shikoku88/s74_kouyamazi.html#other
歴史と謂れ
弘法大師は幼い頃この付近が遊び場であったという。土の仏像や草木の小堂を作ったり、石を重ねて塔にしたりした。壮年の頃、大師は善通寺と曼茶羅寺の間に伽藍建立の霊地を探していたとされる。すると甲山のふもとの岩窟から一人の老翁が現れ「私は昔からこの地に住み、人々に限りない幸福と利益を与えて仏教の教えを広めてきた聖者である。この地に寺を建立すると良い。さすればその寺は私がいつまでも守護するであろう」と告げられた。大師は老聖者の教えに従い、石を割って毘沙門天の尊像を刻んで安置したといわれる。その後弘仁12年(821年)、嵯峨天皇の勅願により満濃池の別当に任ぜられ、大師自ら指揮をとって難工事を3か月で修築完成させた。大変な難工事であったため大師は甲山寺に詣り、薬師如来を刻んで工事の成功を祈ったところたちまち満濃池は完成したといわれる。それまで満濃池には朝廷から築池使として路真人浜継が派遣されていたが、3年かかっても完成していなかった。そこで朝廷は、土地の人々に慕われていて土木工事にも明るい大師を別当として派遣した。朝廷は大師の成功に対して金二万銭を勅施したといわれ、大師はその一部で工事完了のお礼に当山の堂塔を建立し、そのときの薬師如来を安置して医王山と号した。また、山の形が毘沙門天の甲冑の形に似ているため、寺号を甲山寺定めたとされる。
堂塔
寺は甲山の裏側にあり、山門を入ると正面が本堂、左に大師堂、鐘楼毘沙門天の岩窟、右に護摩堂、庫裡がある。
親子地蔵
行事
-
その他の情報
- 大師堂の隣に岩窟があり、甲山寺の縁起となった毘沙門天像を安置している。毘沙門天は長命・勇気・福財・福徳・家運隆昌・病気平癒・商売繁盛・学問成就と広く御利益がある。
- 子宝に恵まれない女性が地蔵の前掛けを持って帰ったところ、願いが叶い子供を授かった。そのお礼に新しい前掛けを地蔵に供えたとされる。それ以来子宝に恵まれるお地蔵様として信仰されるようになった。現在も子宝を願う女性が前掛けを持って帰り、願いが叶うと新しい前掛けをお供えする習慣が続いている。お地蔵様のそばには、「ありがたやめぐみもふかき血をわけて、家のよつぎを守るに仏」とある。
このページに関するご案内
-
この文書は
Keyから
資料集、
思想、
四国霊場八十八箇所とリンクを辿ると、当ページ
第74番札所 医王山甲山寺に辿り着きます。
- Site mapよりこのサイトの全体的な構造を把握できます。
- 索引よりこのサイト内にある任意のキーワードを含んだ文書を探すことができます。
- この文書のURIは
https://www.7key.jp/data/shikoku88/s74_kouyamazi.html
です。
Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年05月21日 最終更新:2007年05月21日