第52番札所 瀧雲山太山寺

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瀧雲山太山寺 - 四国霊場八十八箇所資料集での納経帳への朱印

瀧雲山太山寺の基本情報

最終更新
2007-05-21T00:00:00+09:00
この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/shikoku88/s52_taizanzi.html#basic
正式名称と通称
龍雲三護持院 太山寺(りゅううんざん たいざんじ)/通称:-
本尊と宗派、開基
十一面観世音菩薩 / 真言宗智山派 / 真野長者
真言
オンマカ キャロニキャ ソワカ
御姿
瀧雲山太山寺 - 四国霊場八十八箇所資料集の御姿 本尊のカラーイメージ
御詠歌
唱え奉る 四国霊場 第52番 龍雲山 太山寺 の御詠歌に
太山へ登れば汗の出でけれど 後の世思えば何の苦もなし(たいさんへ のぼればあせの いでけれど のちのよおもえば なんのくもなし)
所在地と電話番号
〒799-2662:愛媛県松山市太山寺町1730(089-978-0329)
前札所と次札所
前札所:第51番札所 石手寺(10.3km)/次札所:第53番札所 円明寺(2.3km)
交通と駐車場
徒歩:石手寺→道後温泉→城北青果→万園堂パンヤ→太山寺
石手寺から徒歩1分、伊予鉄バス松山駅前行:バス停石手寺→市役所前(18分)、伊予鉄バス太山寺行:市役所前→太山寺(32分)
伊予鉄道松山市駅下車。太山寺行きバス26分(終点下車)。
駐車場:無料(10台:境内まで徒歩1分)
宿泊
宿坊なし

瀧雲山太山寺のその他情報

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2007-05-21T00:00:00+09:00
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歴史と謂れ

本堂は用明2年(586年)に九州豊後国の真野長者という大富豪が建立したとされる。炭焼き小五郎は神のお告げを得て、奈良の久我大臣の娘王津姫と結ばれた。以来運が開け、真野長者とうたわれる存在になった。真野長者が船で大阪に向かう途中、高浜沖で風雨に襲われた。一心に観音菩薩に祈ると五彩の光明がさして嵐はおさまり助かったといわれる。真野長者はその御礼に豊後国から木組みした木材を運び、一夜にして堂宇を建立したといわれている。平安後期から歴代の天皇の帰依を集めたこの寺は、天平11年(739年)に聖武天皇の勅願により行基が十一面観音を刻み本尊として安置。孝謙天皇の時代には六十六坊が建てられ、七堂伽藍を持つ大寺となったとされる。天長年間には大師が胡摩ヶ森で護摩を修法し、四国霊場と定めたとされる。その後寺は荒廃するが、嘉元3年(1305年)には領主河野氏によって修復され、現在の本堂はその時代に建立されたものである。

堂塔

太山寺の仁王門

急な石段を登り仁王門を入ると、正面に嘉元3年(1305年)再建の本堂がある。大師堂は一段高いところにあり、遍路の接持のための茶堂もある。

鐘楼堂

太山寺の鐘楼堂

鐘楼堂は明暦元年(1655年)に再建されたもので、裃腰と呼ばれる曲線が美しい建物。梵鐘には永徳3年(1383年)の銘がある。壁面には地獄絵と極楽絵が描かれている。

長者堂

境内には開基の真野長者をまつる長者堂があり、毎年3月17日に長者の供養が営まれる。

一畑薬師堂

境内左手には、眼病平癒の信仰を集める一畑薬師堂がある。「め」または「目」の字を自分の年の数だけ書いて供え、薬師如来の真言を唱えるとご利益があるとされる。

聖徳太子堂

境内の一角にある聖徳太子堂(夢殿)には、法隆寺の夢殿と同じ聖徳太子像が祀られている。

仁王門

山門の手前にある仁王門は国の重要文化財である。

大日如来像

行事

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その他の情報

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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年05月21日 最終更新:2007年05月21日