第44番札所 菅生山大宝寺
菅生山大宝寺の基本情報
- 最終更新
- 2007-05-21T00:00:00+09:00
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https://www.7key.jp/data/shikoku88/s44_daihouzi.html#basic
- 正式名称と通称
- 菅生山大覚院 大宝寺(すごうざん だいほうじ)/通称:-
- 本尊と宗派、開基
- 十一面観世音菩薩 / 真言宗豊山派 / 明神右京・隼人
- 真言
- オンマカ キャロニキャ ソワカ
- 御姿
-
- 御詠歌
- 唱え奉る 四国霊場 第44番 菅生山 大宝寺 の御詠歌に
- 今の世は大悲の恵み菅生山 ついには弥陀の誓いをぞ待つ(いまのよは だいひのめぐみ すごうさん ついにはみだの ちかいをぞまつ)
- 所在地と電話番号
- 〒791-3500:愛媛県上浮穴郡久万高原町菅生二番耕地1173(0892-21-0044)
- 前札所と次札所
- 前札所:第43番札所 明石寺(70.2km)/次札所:第45番札所 岩屋寺(9.1km)
- 交通と駐車場
- 徒歩:明石寺→田野中→大洲→内子→梅津→久万→大宝寺
- 明石寺→JRバス卯ノ町駅行:→卯ノ町駅(7分)、JR予讃本線→松山(2時間49分)、JRバス高知行:→久万(1時間10分)、下車後徒歩(1.5km)
- JR松山駅下車。高知行きバス1時間10分(久万中学校下車)。徒歩20分。
- 駐車場:無料(15台:境内まですぐ)
- 宿泊
- 宿坊130人(3800円)、要予約
菅生山大宝寺のその他情報
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- 2007-05-21T00:00:00+09:00
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歴史と謂れ
本尊の十一面観世音菩薩を、百済から来た聖僧が携えてきて山中に安置した。それを明神右京と隼人の兄弟猟師が見つけ、草庵に祀ったのが始まりといわれている。その後、大宝元年(701年)に文武天皇の勅願により寺院が建立され、当時の元号にちなみ大宝寺と名付けられた。弘仁年間には、弘法大師が来錫。山中で密教三密を厳修し、四国霊場札所に定めた。仁平2年(1152年)、失火により寺は焼失。保元元年(1156年)、脳の病に苦しむ後白河天皇の勅使が訪れて病気平癒を祈願、その後病が治り成就したので天皇は妹宮を住職として下向させ、大宝寺をは勅願寺として多額の御寄進を受けて七堂伽藍の僧堂坊社が再建された。しかし、天正年間には長宗我部氏の兵火によりまたも消失。元禄年間に、松山藩主加藤義明や家臣の佃次郎兵衛らの援助で雲秀法師が再興した。明治7年には失火により堂宇を焼失するが、地元の人の寄進により寺は再興。現存の本堂は大正14年の再建。昭和59年には大師堂が新築建立された。
堂塔
大宝寺の境内には樹齢数百年の杉や桧の老樹が林立し、幽寂な空気がただよう。
本堂
青い銅板葺き屋根。明治7年の焼失の後、大正時代に再建されたもの。
その他
行事
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その他の情報
- 足摺岬の金剛福寺に次ぐ約90kmの長い旅路で、札掛、下板場、鴇田という3つの大きな峠を越える最も苦しい道中とされる。札所もちょうど半分で、遍路にとってはまさに峠の寺。
- 後白河天皇の逸話から、病気平癒を祈願する人が多い。中でも脳の病気霊験があることから、近年は受験生の参拝も多いとされる。
- 境内の片隅に、漂泊の俳人種田山頭火の「朝まいりはわたくし 一人の銀杏ちりしく 山頭火」との句碑が立つ。
- 鐘楼は2つあり、石段を上って右手にある鐘が古いもの。左側の鐘は「平和の鐘」と呼ばれ、第2次世界大戦で亡くなった地元の英霊を供養するために建てられた。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年05月21日 最終更新:2007年05月21日