第77番札所 桑多山道隆寺
桑多山道隆寺の基本情報
- 最終更新
- 2007-05-21T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/shikoku88/s77_douryuuzi.html#basic
- 正式名称と通称
- 桑多山明王院 道隆寺(そうたさん どうりゅうじ)/通称:-
- 本尊と宗派、開基
- 薬師如来 / 真言宗醍醐派 / 和気道善
- 真言
- オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ
- 御姿
-
- 御詠歌
- 唱え奉る 四国霊場 第77番 桑多山 道隆寺 の御詠歌に
- 願いをば 仏道隆に 入り果てて 菩提の月を 見まくほしさに(ねがいをば ぶつどうりゅうに いりはてて ぼだいのつきを みまくほしさに)
- 所在地と電話番号
- 〒764-0022:香川県仲多度郡多度津町北鴨1丁目3-30(0877-32-3577)
- 前札所と次札所
- 前札所:第76番札所 金倉寺(3.9km)/次札所:第78番札所 郷照寺(7.1km)
- 交通と駐車場
- 徒歩:金倉寺→国道32号線→国道11号線→葛原→自動車教習所→道隆寺
- 金倉寺から徒歩2分、琴参バス高松行:金蔵寺立場→丸亀通町(15分)、琴参バス多度津経由善通寺行:丸亀通町→道隆寺(10分)、下車後徒歩(100m)
- JR予讃線多度津駅下車。徒歩15分。
- 駐車場:200円(20台:境内まですぐ)
- 宿泊
- 宿坊なし
桑多山道隆寺のその他情報
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歴史と謂れ
天平膠宝元年(749年)、この附近は一大桑園が広がり、この桑園で和気道隆は誤って乳母を弓で射ってしまった。嘆き悲しんだ道隆はその供養のために桑の大樹を切って薬師如来の小像を刻み、小堂を建てて安置したといわれる。その後、第二代住職である朝祐法師が薬師堂をはじめとする七堂伽藍を建立し、寺号を開祖の名をとって道隆寺と名づげたとされる。後に弘法大師が留錫し、薬師如来を刻んで道隆の彫った小像を胎内に納め本尊とした。その後真雅、智証、理源大師等が止住したといわれる。貞元の大地震や康平、天正の兵火で伽藍は失われるが、いずれも復興された。明治に入り大修理が行われ、現在の金堂は天正年間の再建。
堂塔
広大な寺域に重厚な大師堂をはじめ、多宝塔、地蔵堂、観音堂など諸堂が建ち並び全国各地の観音霊場の本尊や水子の霊を供養する観音像、交通安全の千体観音像がある。仁王門をくぐると、正面に大きな本堂がある。大師堂は寛永7年(1630年)の建立。本堂の前には、ひざまづき両手をさしのべる衛門三郎と弘法大師の像がある。
潜徳院殿堂
京極左馬造公の墓所。丸亀の京極藩の京極左馬造は幼少より盲目だったが、本尊の薬師如来に祈願したところ全快したといわれる。その後、左馬造は医学を学び御典医となり、眼病の達人と呼ばれるようになった。死に際して「我魂魄を道隆寺に留め世人を救わん」と誓願し、左馬造は死後潜徳院殿堂に祀られている。このため、道隆寺は「眼なおし薬師さま」としても有名で、今でも全国から眼病平癒祈願の信者が集まる。
その他
行事
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その他の情報
- 国の重要文化財に指定されている「星曼茶羅図」をはじめ、智証大師が刻んだ「五大明王尊」や弘法大師直筆の「五大尊画像」など多くの仏画が収蔵されている。
- 開基は元明天皇御宇入江乙長和気道隆公、2代目住職は弘法大師から受戒を受けた道公子孫の朝祐法師。3代目住職に法光大師(弘法大師の実弟、真雅)、4代目住職に智証大師、5代目住職には理源大師聖宝と高僧が続いている。
- 参道沿いには三百体の観音像が祀られている。
- 流産された子の無縁霊供養塔が祀られている。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年05月21日 最終更新:2007年05月21日