第76番札所 鶏足山金倉寺
鶏足山金倉寺の基本情報
- 最終更新
- 2007-05-21T00:00:00+09:00
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https://www.7key.jp/data/shikoku88/s76_konzouzi.html#basic
- 正式名称と通称
- 鶏足山宝幢院 金倉寺(けいそくざん こんぞうじ)/通称:-
- 本尊と宗派、開基
- 薬師如来 / 真言宗寺門派 / 和気道善
- 真言
- オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ
- 御姿
-
- 御詠歌
- 唱え奉る 四国霊場 第76番 鶏足山 金倉寺 の御詠歌に
- まことにも 神仏僧を ひらくれば 真言加持の 不思議なりけり(まことにも しんぶつそうを ひらくれば しんごんかじの ふしぎなりけり)
- 所在地と電話番号
- 〒769-0031:香川県善通寺市金蔵寺町1160(0877-62-2615)
- 前札所と次札所
- 前札所:第75番札所 善通寺(3.8km)/次札所:第77番札所 道隆寺(3.9km)
- 交通と駐車場
- 徒歩:善通寺→琴参バス営業所→国道32号線→金倉寺
- 善通寺から徒歩1分、琴参バス高松行:善通寺赤門前→金蔵寺立場(7分)、下車後徒歩(150m)
- JR予讃線金蔵駅下車。徒歩5分。
- 駐車場:普通車200円(50台:境内まですぐ)
- 宿泊
- 宿坊なし
鶏足山金倉寺のその他情報
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- 2007-05-21T00:00:00+09:00
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歴史と謂れ
宝亀5年(774年)、弘法大師の甥にあたる智証大師の祖父、和気道菩の開基で、当時は道善寺と称していた。智証大師の誕生の地でもある。天安2年(858年)に唐から帰国した智証大師は、先祖の菩提にと唐の青龍寺を摸して伽藍を造営し、後に勅願寺となり、延長6年(928年)に醍醐天皇が金倉の郷との地名にちなんで金倉寺、山号は鶏足山と改称した。本尊の薬師如来は智証大師が刻んだもの。広大な寺領と132坊を有し大いに栄えたが、南北朝や室町の兵火のために縮小。全て焼失したが、唯一難を免れたのは大師が唐に渡る前に母の玉依御前に贈った自画像と本尊のみであったとされる。その後、寛永19年(1642年)に藩主松平頼重公が大壇主となって再興、現在に至っている。
堂塔
- 本堂:前には巨大な願供養念珠が掛けられている。
- 大師堂:「讃岐の五大師」に数えられる弘法大師と智証大師の像が安置されている。「大師」の号は僧にとって最高の名誉であり、他の三大師は道興大師、法光大師、理源大師。
- 客殿:乃木将軍遺品展示室など。
- 訶梨帝堂:訶梨帝母尊(鬼子母神)を祀った御堂。ここは日本ではじめて鬼子母神が現れたといわれる寺。智証大師が5歳のときに天女が現れ、仏道に入るなら守護すると言ったとされ、その天女こそが鬼子母神であったとの伝説がある。
その他
行事
その他の情報
智証大師は善通寺から4kmほどはなれた金倉郷で、弘法大師の姪を母として弘仁6年(815年)に生まれた。幼少のころから経典を読み、14歳で叡山に登り、後に唐へ留学し、やがて延暦寺五代座主となり、三井園城寺を賜わって伝法灌頂の道場としたといわれる。
乃木将軍妻返し
寺の境内に「乃木将軍妻返し」という石碑が立っている。明治時代後期に善通寺第一師団長に着任した乃木希典が、金倉寺の客殿を明治31年から2年7か月(4年との説も)の間仮住まいとしていた。妻の静子は遙々東京から訪ねてきたが希典は会おうとせず、静子は松の木の下でしばらくたたずんでいたためその松は「乃木将軍妻返しの松」と名付けられた。現在の松は二代目。当時生活していた客殿には希典が愛用した、軍帽、肖像画、妻からの手紙、収集していた石など様々な遺品が展示されている。通常は非公開。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年05月21日 最終更新:2007年05月21日