第57番札所 府頭山栄福寺
府頭山栄福寺の基本情報
- 最終更新
- 2007-05-21T00:00:00+09:00
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https://www.7key.jp/data/shikoku88/s57_eihukuzi.html#basic
- 正式名称と通称
- 府頭山無量寿院 栄福寺(ふとうざん えいふくじ)/通称:-
- 本尊と宗派、開基
- 阿弥陀如来 / 高野山真言宗 / 弘法大師
- 真言
- オン アミリタ テイゼイ カラウン
- 御姿
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- 御詠歌
- 唱え奉る 四国霊場 第57番 府頭山 栄福寺 の御詠歌に
- この世には弓矢を守る八幡なり 来世は人を救う弥陀仏(このよには ゆみやをまもる やはたなり らいせはひとを すくうみだぶつ)
- 所在地と電話番号
- 〒794-0114:愛媛県今治市玉川町八幡甲200(0898-55-2432)
- 前札所と次札所
- 前札所:第56番札所 泰山寺(3.0km)/次札所:第58番札所 仙遊寺(2.5km)
- 交通と駐車場
- 徒歩:泰山寺→バス停小泉→山手橋→バス停八幡→栄福寺(交通機関の利用不可)
- JR予讃線今治駅下車。鈍川方面神子森行きバス19分(大須木下車)。徒歩20分。
- 駐車場:普通車100円(10台:境内まですぐ)
- 宿泊
- 宿坊なし
府頭山栄福寺のその他情報
- 最終更新
- 2007-05-21T00:00:00+09:00
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歴史と謂れ
弘仁年間、嵯峨天皇の勅願で弘法大師が開基したとされる。瀬戸内地方を巡錫している際、瀬戸内海での海難事故が多いことを聞いた大師は、府頭山の山頂で海難供養の護摩供を修法した。その満願の日に海の中から阿弥陀如来が現れた。そこで大師は阿弥陀如来を本尊として安置し、堂宇を創建したといわれる。後の貞観元年(859年)、大安寺の行教上人が来錫。上人は宇佐八幡宮の霊告を受け御分身を山城の男山に創建するため、しばしば瀬戸内海を往来していた。その途中、暴風雨に遭いこの地に漂着。府頭山が京都の男山に似ている事に気付き、さらに阿弥陀如来が八幡大菩薩の本地仏でもあるため、山頂に上り祈願した。すると本尊が夢に現れ霊告を受けた。そこで境内に社殿を建立し、神仏混合の石清水八幡宮を創建したといわれる。その後、明治初期の神仏分離によって寺は現在地に移され、山頂にあった建物を移築して大師堂とした。
堂塔
山麓からの急な参道を登ると正面は藤岡八幡宮、途中から右へ折れて栄福寺の境内へ入る。本堂は八幡宮への参道を背にして他の堂より一段高い所にある。本堂向かって右手に回廊があり、大師堂、薬師堂など諸堂がコの字型に結んでいる。
お願い地蔵
行事
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その他の情報
- 弘法大師が海難供養の護摩供をしたことから、海陸安全、福寿増長に御利益があるとされる。
- 昔、薬師堂の前で花見をしていた若者達がふぐを食べて腹痛を起こし、残ったふぐを桜の木の根本に捨てた。次の日にお寺に来て、桜の木が枯れているのを見つけた。これは薬師が身代わりになったと考えられている。それ以来、病気封じにお薬師さんにあげられた線香の灰を持ち帰る人が後を絶たないといわれる。
- 寛政12年(1800年)のお遍路さんの納経帳が残っており、四国遍路の歴史をひもとく上で貴重な資料とされている。
- 本堂の前にある仏足石は、インドのマハポーティー寺院にある菩提樹の足型拓本をとって、庵治石で作られたもの。
- 境内に入るとすぐ左手に、「お願い地蔵」が祀られている。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年05月21日 最終更新:2007年05月21日