第47番札所 熊野山八坂寺
熊野山八坂寺の基本情報
- 最終更新
- 2007-05-21T00:00:00+09:00
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https://www.7key.jp/data/shikoku88/s47_yasakazi.html#basic
- 正式名称と通称
- 熊野山妙見院 八坂寺(くまのざん やさかじ)/通称:-
- 本尊と宗派、開基
- 阿弥陀如来 / 真言宗醍醐派 / 弘法大師
- 真言
- オン アミリタ テイゼイ カラウン
- 御姿
-
- 御詠歌
- 唱え奉る 四国霊場 第47番 熊野山 八坂寺 の御詠歌に
- 花を見て歌読む人は八坂寺 三仏じょうの縁とこそ聞け(はなをみて うたよむひとは やさかでら さんぶつじょうの えんとこそきけ)
- 所在地と電話番号
- 〒791-1133:愛媛県松山市浄瑠璃町八坂773(089-963-0271)
- 前札所と次札所
- 前札所:第46番札所 浄瑠璃寺(0.9km)/次札所:第48番札所 西林寺(4.5km)
- 交通と駐車場
- 徒歩:浄瑠璃寺→八坂寺(800m)
- 浄瑠璃寺から徒歩1分、伊予鉄パス松山行:浄瑠璃寺→八坂寺(1分)、下車後徒歩(400m)
- 伊予鉄道松山市駅下車。久谷行きバス45分(八坂寺下車)。徒歩10分。
- 駐車場:無料(20台:境内まですぐ)
- 宿泊
- なし
熊野山八坂寺のその他情報
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歴史と謂れ
修験道の開祖、役行者小角が開基したと伝えられ、大宝元年(701年)に伊予の国司越智玉興が、文武天皇の勅願寺として創建した。寺号は伽藍建立の際に八つの坂を切り開いたことにちなむ。本尊の阿弥陀如来は恵心僧都の作。後に寺は荒廃するが、弘仁6年(815年)に来錫した弘法大師が、長期間にわたって留錫して再興、四国霊場札所に定められた。後に修験の根本道場として栄え、熊野山八王寺と称し、末寺四十八か寺と寺領に荏原郷を有するほど隆盛をきわめた。しかし、戦国時代の兵火により伽藍は焼失。後に再建され、現在に至っている。
堂塔
現在の寺は、本堂、大師蛍、十二社権現堂、鐘楼堂、本坊。
閻魔堂
その他
行事
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その他の情報
- 寺宝は鎌倉時代の宝篋印塔、石造層塔などがあり、本尊の阿弥陀如来は重要文化財に指定されている。本尊は恵心僧都の作といわれ、御文三尺の寄木造。作者の恵心僧都は平安時代中期の代表的な僧である。本尊は秘仏とされ、50年に1度の御開帳に限られている。次に見られるのは2034年。
- 八坂寺の近くに文殊院得盛寺があり、遍路の元祖といわれる衛門三郎の屋敷跡と伝えられている。衛門三郎は、托鉢をしていた弘法大師に乱暴な態度をとったため、三郎の八人の子供達が次々に死んでいった。三郎は自分の悪行に気付き、大師の後を追いかけて札所を歩いた。これが遍路の始まりといわれている。唯一の末寺で、近くの田の中には、衝門三郎の八人の子供の基といわれている八塚がある。
- 本堂と大師堂の間にある閻魔堂には、左右に「極楽の途」と「地獄の途」の二つが作られている。それぞれ短いトンネルになっている。
- 本堂の左右にある地下に入ると、黄金に輝く万体阿弥陀仏が安置されている。奉納した信者の出身地ごとに並び、その数は増え階段にまで溢れている。
- 本堂の右奥には紀州の熊野大権現、十二社権現をまつった権現堂がある。
- 住職は八坂家の世襲。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年05月21日 最終更新:2007年05月21日