第46番札所 医王山浄瑠璃寺
医王山浄瑠璃寺の基本情報
- 最終更新
- 2007-05-21T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/shikoku88/s46_zyoururizi.html#basic
- 正式名称と通称
- 医王山養珠院 浄瑠璃寺(いおうざん じょうるりじ)/通称:-
- 本尊と宗派、開基
- 薬師如来 / 真言宗豊山派 / 行基菩薩
- 真言
- オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ
- 御姿
-
- 御詠歌
- 唱え奉る 四国霊場 第46番 医王山 浄瑠璃寺 の御詠歌に
- 極楽の浄瑠璃世界たくらえば うくる苦楽は報いならまし(ごくらくの じょうるりせかい たくらえば うくるくらくは むくいならまし)
- 所在地と電話番号
- 〒791-1133:愛媛県松山市浄瑠璃町282(089-963-0279)
- 前札所と次札所
- 前札所:第45番札所 岩屋寺(26.6km)/次札所:第47番札所 八坂寺(0.9km)
- 交通と駐車場
- 徒歩:岩屋寺→畑野→久万→三坂峠→丹波→久谷→浄瑠璃寺
- 岩屋寺から徒歩10分、伊予鉄バス久万・松山行:岩屋寺前→高尾田(73分)、伊予鉄バス丹波・久谷行:高尾田→浄瑠璃寺(12分)、下車後徒歩(100m)
- 伊予鉄道松山市駅下車。久谷行きバス50分(浄瑠璃寺下車)。徒歩1分。
- 駐車場:無料(10台:境内まですぐ)
- 宿泊
- なし
医王山浄瑠璃寺のその他情報
- 最終更新
- 2007-05-21T00:00:00+09:00
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歴史と謂れ
和銅元年(708年)、行基は奈良の大仏開眼に先立ち、布教宣布のためこの地を訪れた。そして仏教流布の最適地と確信し、この寺を讃仏修行の地に定め伽藍を建立。自ら医王仏を手彫りし、本尊として薬師如来、脇仏の日光・月光両菩薩、十二神像を安置した。薬師如来のいる浄瑠璃浄土の名をとり、浄瑠璃寺と号した。その後大同2年(807年)に、弘法大師が唐より帰朝。太宰府観音寺に留錫中にこの寺を来錫し、伽藍を再建、四国霊場札所と定めた。戦国時代には兵火によって荒廃と再興を繰り返し、正徳5年(1715年)には、近くでの山火事で本尊と脇仏は難を免れたものの多くの寺宝と伽藍を焼失する。江戸時代後期になり僧侶の尭音が精魂を傾け、焼失後80年余りを経て見事に再興された。
堂塔
寺の境内は天然記念物の伊吹柏槙が生い茂り、本堂前には仏足石がまつられている。
だっこ大師
その他
行事
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その他の情報
- 江戸後期に浄瑠璃寺を再興した尭音はこの地の庄屋出身の僧で、第45番札所岩屋寺から松山までの土佐街道に8つの橋を架け、大水のたびに流出していた立花橋に対して岩国の錦帯橋の構造を研究して架橋に成功するなど、社会事業にも貢献したとされる。現在も立花橋の近くに尭音の供養塔が立っている。
- 数々の御利益があるとして信仰を集めている浄瑠璃寺は、親しみを込めて「御利益のよろず屋」とも呼ばれている。藤棚のそばに祀られている一願弁天は、1つだけ願いを叶えてくれるとされる芸術の守護神。特に知恵、財宝、音楽に関する願いには、特に霊験あらたかと伝えられる。
- 腰をかけて瞑想しながら如来の説法を聞く「説法石」、裸足で踏むと健脚や交通安全に御利益があるとされる「仏足石」、智恵や技能に御利益がある「仏手石」、心身堅固と文章達成に御利益のある「仏手指紋(如来花判)」などがある。
- 本堂前には、大きなソテツとイブキビャクシンの老樹が茂る。イブキビャクシンの大木は樹齢約1000年とされ、弘法大師が加持したものと伝えられる。松山市の天然記念物に指定。
- 遍路の元祖といわれる衛門三郎の故郷。境内の山門脇には「永き日や 衛門三郎 浄瑠理(離)寺」と書かれた正岡子規の句碑がある。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年05月21日 最終更新:2007年05月21日