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https://www.7key.jp/data/word_custom/hirouen.html#what
披露宴は「ひろうえん」と読み、婚姻を広く発表するために親戚や知人、友人らを招いて催す宴会。
古代から鎌倉時代初期頃まで、婚姻は婿入り婚の形式を採ったためそれを認めるのは嫁方であった。そのため、婚姻が成立すると嫁方では多くの飲食物で婿を歓待し、親戚らを招いて婿を披露する宴会を催した。平安時代には「露顕の儀」や「三日夜の餅」などといった結婚式らしい儀式も生じた。
その後は嫁が婿方の家の一員となる嫁入りによって結婚が成立し、夫婦の生活は婿方でなされることが多くなった。婚姻自体も家と家との結びつきとの側面が重視され、婿方の家に両家の親族らを招いて結婚披露宴が催されるようになった。嫁入り婚は武家に見られる父権家族制度の現れであり、その成熟に伴って武家以外の社会にも定着していった。明治時代に制定された民法とそれに基づく戸籍制度でも、嫁入り婚が基本的な結婚形態として構築されている。
近世以降は、主に新郎の家で婚姻の式が行われ、親戚や知人、隣人などを招いて披露宴が行われた。そして翌日は、特に新婦のお披露目のために、新郎の親と新婦が近所に挨拶をして回り、息子の嫁として嫁入りを認知してもらうのが慣例となった。昔は村の外から嫁を迎える際、両家の関係者はもちろんのこと、村人達にもお披露目して公認してもらう必要があったのである。明治時代以降、神前結婚式の広がりと共に披露宴も次第に盛大なものとなり、挙式よりも披露宴の方に重きがおかれるようになっていった。
戦後に公布された日本国憲法(特に14条、24条など)と、これに基づいて改正された民法(家族法)の規定により、結婚と夫婦・家族に関わる制度と認識が大きく変わった。現代では、結婚は一方が他方の家に入るという形ではなく、「両性の合意」のみに基づいて新しく独立した夫婦・家族を形成するとの認識が強い。そのため、結婚式や結婚披露宴が夫婦の家やその実家で行われることが少くなり、ホテルや結婚式場、レストランなどで行われることが多くなった。
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