第59番札所 金光山国分寺
金光山国分寺の基本情報
- 最終更新
- 2007-05-21T00:00:00+09:00
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https://www.7key.jp/data/shikoku88/s59_kokubunzi.html#basic
- 正式名称と通称
- 金光山最勝院 国分寺(きんこうざん こくぶんじ)/通称:-
- 本尊と宗派、開基
- 薬師如来 / 真言律宗 / 行基菩薩
- 真言
- オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ
- 御姿
-
- 御詠歌
- 唱え奉る 四国霊場 第59番 金光山 国分寺 の御詠歌に
- 守護のため建ててあがむる国分寺 いよいよめぐむ薬師なりけり(しゅごのため たててあがむる こくぶんじ いよいよめぐむ やくしなりけり)
- 所在地と電話番号
- 〒799-1533:愛媛県今治市国分4-1-33(0898-48-0533)
- 前札所と次札所
- 前札所:第58番札所 仙遊寺(6.7km)/次札所:第60番札所 横峰寺(28.0km)
- 交通と駐車場
- 徒歩:仙遊寺→松木団地→国府橋→国分寺
- 仙遊寺から徒歩45分、せとうちバス今治営業所行:別所→郷森(8分)、せとうちバス志々満原行:郷森→国分寺(16分)、下車後徒歩(100m)
- JR予讃線今治駅下車。桜井団地行きバス25分(国分寺下車)。徒歩2分。
- 駐車場:普通車200円(15台:境内まで徒歩2分)
- 宿泊
- 宿坊なし
金光山国分寺のその他情報
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歴史と謂れ
聖武天皇の勅願により、国家安穏・五穀豊穣・万民豊楽を祈願して一国に一寺建立された国分寺の1つ。天平13年(741年)に行基が開創、七堂伽藍を備えて他の国分寺に比べ豪壮な巨刹であったといわれる。第三世住職智法大師のときに弘法大師が留錫し、五大尊の絵像を描き残した。大師十大弟子の1人でかつて高岳親王であった真如も2年間滞留し、法華一部を染筆した。その後天慶2年(939年)の藤原純友の乱で堂宇は焼失。国主の援助を受けて復興したが、元暦元年(1184年)の源平合戦で再び焼失する。後に再興したが、貞治3年(1364年)には讃岐の細川右馬頭頼之が侵入し、またも消失する。さらに天正12年(1584年)に、長宗我部元親と伊予国守河野通直の戦の兵火でまたも堂宇が消失。この時は支援者である河野氏が敗れたため復興は叶わず、茅葺きの小堂が建てられただけであったといわれる。現在の本堂は、寛政元年(1789年)に第43代住職の恵光上人が金堂として建立し、その後諸堂が再建された。
堂塔
近くに七重塔の礎石がある。
その他
行事
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その他の情報
- 現在の境内は伊予国府のあった所とされ、国分寺はかつて東へやや離れた国分寺塔址の位置にあったとされる。
- 昔は巨刹であったため、書院には貴重な文化財が収蔵されている。中には弘法大師が描き残した五大尊の絵像一幅、南北朝時代ものもといわれる国分寺文書三巻、室町時代の作といわれる不動明王像の紙本着色、その他弘法大師の画像、大般若経など数多く収蔵される。また、奈良時代から平安時代初期にかけての鐙瓦や字瓦が保管されている。
- 境内に、伊予十大名椿とされる「唐椿」が植えられている。
- 境内に入りすぐ右手にある壺は薬師如来のものといわれ、身体の健康を念じ、壺に触れながら薬師如来の御真言を唱えると病気が治るとされる。
- 境内に入り右手の隅に黄色い前掛けの七福神が祀られている。掛けられている前掛けを持ち帰り、願いが叶うと新しい前掛けをお供えをするといわれる。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年05月21日 最終更新:2007年05月21日