タジキスタン
タジキスタンの基本情報
- 最終更新
- 2007-04-02T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/country/c_asia/tjk.html#basic
- 国・地域名(ISO 3166-1による英語名)
- タジキスタン共和国【Tajikistan】。公式の英語表記は、Republic of Tajikistan。
- 首都
- ドゥシャンベ【Dushanbe】
- 国旗
- 人種
- タジク人64.9%、ウズベク人25.0%、ロシア人3.5%、他(2005年CIS統計委員会)
- 言語
- タジク語(公用語)、ウズベク語、ロシア語
- 宗教
- タジク人の中ではイスラム教スンニー派が最も優勢。パミール地方にはシーア派の一派であるイスマーイール派の信者も多い。
- 通貨
- ソモニ:Somoni(TJS)(2000年10月30日導入)
- 3文字国名コード/2文字国名コード/数字国名コード
- TJK/TJ/762
- 人口/面積
- 7,011,556人/143,100平方キロメートル(日本の約40%)
- 国歌/国花/国鳥
- 国の歌/-/-
- 漢字による表記
- 塔吉克斯坦/汰爾奇斯坦
- 時間帯
- UTC (+5)(DST: なし)
- ccTLD
- .TJ
- 国際電話番号
- 992
タジキスタンのその他情報
- 最終更新
- 2007-04-02T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/country/c_asia/tjk.html#other
タジキスタンの地形
中央アジアに位置する内陸国で、南はアフガニスタン、東は中国、北はキルギスタン、西はウズベキスタンと国境を接する。国土の殆どは山岳地帯で、東部はパミール高原の一部。北部にはフェルガナ盆地がある。平地や低地は殆ど無く、標高が高いために森林面積も5%程度。山岳氷河が水源となりアムダリヤ川へ流れている。旧ソビエト連邦の最高峰、コムニズム峰(7495m)がある。
タジキスタンの気候
寒冷小雨乾燥の大陸性気候。気温は日較差、年較差ともに大きく、夏季の日中のみ暑くなるだけで特に冬季の寒さは厳しい。標高4000m以上の地域では半砂漠の高山性気候となる。南西部の盆地では冬季に降雨がみられる。
タジキスタンの経済
農業に適した土地はわずかで、潅漑によって開拓された土地での綿花栽培を中心とする農業と、羊や牛、豚などの牧畜が主要産業。工業部門では繊維産業が比較的発達している。絨毯の製造は伝統産業の1つでもある。小規模ではあるが、亜鉛、錫のほかウラン、ラジウム、ビスマスなどの希少金属の鉱床を有している。また、豊富な水資源を活かしての水力発電とそれによるアルミニウム工業も盛ん。
主要貿易品目
輸出はアルミニウム、綿花、電力。輸入は電力、石油製品、食料品、機械設備。
主要貿易相手国
輸出はオランダ、トルコ、ロシア、ウズベキスタン、ラトビア、イラン。輪入はロシア、カザフスタン、ウズベキスタン、アゼルバイジャン、中国、ウクライナ、ルーマニア、トルクメニスタン。
2005年:CIA THE WORLD FACTBOOK
タジキスタンの歴史
- 紀元前2000年:イラン系諸部族がユーラシア草原から中央アジアに移住し、オアシス地方で独自の文化を創り上げる。
- 紀元前4世紀:アレクサンドロス大王により制圧。
- 紀元前250年頃:グレコ・バクトリア王国成立。
- 1〜3世紀:クシャーン朝による支配。
- 6世紀中頃:テュルク系遊牧民(突厥)の侵入、次第に住民のテュルク化が始まる。
- 7世紀:ソグド人の活動が最盛期に。
- 8世紀以降:アラブ勢力の侵入、土着のイラン系住民がイスラム教を受容。テュルク系諸民族がこれらイラン系住民をタジクと呼ぶようになる。
- 9世紀後半〜10世紀:イラン系のサーマーン朝成立。
- 13世紀:モンゴル帝国の支配。
- 14世紀後半〜15世紀:ティムール帝国の支配。
- 16世紀:シャイバーン朝の支配。
- 18〜19世紀:ブハラ・ハン国、コーカンド・ハン国の支配。
- 1860年代:現在のタジキスタン北部がロシア帝国に併合。
- 1890年代:パミール地方の大部分がロシア帝国に併合。
- 1924年:中央アジアの民族・共和国境界画定により、ウズベク・ソビエト社会主義共和国内にタジク自治ソビエト社会主義共和国が成立。
- 1929年:ウズベク共和国から分離し、タジク・ソビエト社会主義共和国に昇格。
- 1990年2月:ドゥシャンベ事件(アルメニア難民移住への抗議行動を契機とする騒乱事件)。
- 1990年8月23日:共和国主権宣言。
- 1991年8月31日:国名を「タジキスタン共和国」に変更。
- 1991年9月9日:共和国独立宣言。
- 1991年12月21日:独立国家共同体(CIS)に参加。
- 1992年3月2日:国連加盟。
- 1992年5月:タジキスタン共産党系の政府とイスラム系反政府勢力との間で内戦状態に。
- 1992年11月19日:ラフモノフ最高会議議長就任。
- 1994年11月6日:暫定停戦合意、ラフモノフ大統領選出。
- 1997年6月27日:タジキスタン内戦の最終和平合意成立。
- 1998年:監視団に派遣されていた秋野豊筑波大助教授が、ドゥシャンベ東方の山岳地帯で反政府勢力に銃撃され殉死。
- 1999年11月7日:ラフモノフ大統領再選。
- 2000年:監視団は和平プロセスを完了。以後は国連タジキスタン和平構築事務所(UNTOP)が復興を支援。
- 2001年:対テロ戦争以来、アメリカ軍も小規模ながら駐留。
タジキスタンの文化
- 公用語はタジク語(イランのペルシア語やアフガニスタンのダリー語などとともにイラン語派の西方方言群に属する。現在タジク共和国で使用されているタジク語北西方言は、ウズベク語などテュルク諸語との接触により文法や語彙の面で大きな影響を受けている)。ロシア語も広く使われている。
- タジキスタンの文化はウズベキスタンの文化と同根だが、共産政権下において地域の文化組織が崩壊し、ウズベキスタンの文化とは分断された。
- タジキスタンの国民の多くはイスラム教徒で、スンニ派が大半を占める。また歴史的にペルシャとの結び付きが強く、イブン=スィーナーなどのペルシャ人は尊敬されている。このようにタジキスタン国内でのイスラム教の影響は強いが、近年はムスリムのロシア正教など他宗教への改宗も目立ってきている。
- ラフモノフ大統領の長期政権によって、ロシアや中国、アメリカとの関係強化が行われ、日本を含む各国の支援や国連活動によって、21世紀に入ってからは年10%の高成長率を維持。しかし、もともと資源・産業は乏しい上、利益の再分配がうまく機能せず、国民の大多数は年収300ドル未満の生活を送っている。旧ソ連各国の中でも最も貧しい国の1つ。
- 1995年5月10日に独自通貨「タジク・ルーブル」を導入、2000年10月に「ソモニ」に変更。
- ロシアとは同盟関係にあり、国内にロシア軍が駐留している。
- 上海協力機構加盟国。
- 独立国家共同体加盟国。
- イスラム諸国会議機構加盟国。
当ページ作成にあたり、参考にさせてもらったリソース
このページに関するご案内
-
この文書は
Keyから
資料集、
地理、
国、
中央アジアとリンクを辿ると、当ページ
タジキスタンに辿り着きます。
- Site mapよりこのサイトの全体的な構造を把握できます。
- 索引よりこのサイト内にある任意のキーワードを含んだ文書を探すことができます。
- この文書のURIは
https://www.7key.jp/data/country/c_asia/tjk.html
です。
Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年03月05日 最終更新:2007年04月02日