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https://www.7key.jp/data/geography/ryoseikoku/aki.html#basic
国名(よみ / 旧かな) | 安芸国(あきのくに / あきのくに) |
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別名 | 芸州(げいしゅう / げいしう) |
延喜式の時代の等級 | 上国、遠国 |
国府の所在地と現在地 | 安芸郡(あき) / 広島県安芸郡府中町 |
総社 | 多家神社 |
推定人口 | 578,516人(1834年) |
名物や名産品など | 山葵、吊し柿、麻、蜜蜂、牡蠣、海苔、塩、和牛、馬、三好奉書、宮島杓子 |
代表的な妖怪 | ばたばた |
現在の地名 | 現在の広島県の西部にあたる。 |
https://www.7key.jp/data/geography/ryoseikoku/aki.html#other
応仁の乱の頃、この地域では武田氏と安芸に侵攻して来た周防の大内氏の間で抗争が続いていた。その後、出雲から尼子氏が侵攻、安芸の支配権をめぐり大内氏と対立することになる。こうした中、大内氏の国人衆である毛利氏は12代元就の時に、次男元春を吉川氏へ、三男隆景を小早川氏へ養子に送り、両氏と同盟関係を強めた。その後、元就は陶晴賢を厳島で破り、尼子氏を滅ぼして勢力を拡大してゆき、元就が75歳で没したときには、毛利氏の所領は中国10か国に及んでいた。毛利氏は14代輝元のときに居城を高田郡郡山城から広島城に移している。
関が原の役で東軍に敗れ、毛利氏は所領を周防と長門の2国とされ、安芸には福島正則が入国した。しかし元和5(1619)年、福島氏は広島城無断修築の罪を問われて改易となる。後に紀伊から浅野長政の次子長晟が42万6000石で入封し、以後安芸は浅野家の支配で幕末を迎えることになる。
国名 | 延喜式 | 吾妻鏡他 | 郡名考・天保郷帳 | 郡区編成 | 現在 | ||
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都道府県 | 郡 | 市 | |||||
安芸 | 沙田(さた) | 沙田 | 豊田(とよた) | 豊田 | 広島県 | 豊田郡 | 三原市 |
沼田(ぬた) | 豊田 | 賀茂郡 | 竹原市・東広島市・呉市 | ||||
賀茂(かも) | 加茂 | 賀茂(かも) | 賀茂 | ||||
山縣(やまかた) | 山縣 | 山縣(やまがた) | 山縣 | 山県郡 | |||
高田(たかた) | 高田 | 高田(たかた) | 高田 | 高田郡 | 広島市 | ||
高宮(たかみや) | |||||||
安藝(あき) | 安南・安藝・安北・高宮 | 安藝(あき) | 安藝 | 安芸郡 | 呉市・広島市 | ||
高宮(たかみや)・沼田(ぬまた) | 高宮・沼田 | 安佐郡 | 広島市 | ||||
佐伯(さへき) | 佐東・沼田・佐西・佐伯 | 佐伯(さへき) | 佐伯 | 佐伯郡 | 広島市・大竹市 |
安芸は古くは阿岐と書いたといわれ、『古事記』に、阿岐国と記載されている。
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