西サハラ
西サハラの基本情報
- 最終更新
- 2007-04-10T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/country/w_africa/esh.html#basic
- 国・地域名(ISO 3166-1による英語名)
- サハラ・アラブ民主共和国(西サハラ)【Western Sahara】。公式の英語表記は、Sahrawi Arab Democratic Republic (Western Sahara)。
- 首都
- (ラアユーン(アイウン)【Laayoune(al-Aiyun)】)
- 国旗
- -
- 人種
- アラブ系ベルベル人、ムーア人
- 言語
- アラビア語、スペイン語(以上公用語)
- 宗教
- イスラム教
- 通貨
- ディルハム:Moroccan Dirham(MAD)
- 3文字国名コード/2文字国名コード/数字国名コード
- ESH/EH/732
- 人口/面積
- 267,405人/266,000平方キロメートル(本州の1.1倍)
- 国歌/国花/国鳥
- (西サハラの国歌)/-/-
- 漢字による表記
- -
- 時間帯
- UTC ±0(DST: なし)
- ccTLD
- なし(.ehを予約)
- 国際電話番号
- 212(モロッコの国番号、これとは別に282を予約)
西サハラのその他情報
- 最終更新
- 2007-04-10T00:00:00+09:00
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https://www.7key.jp/data/country/w_africa/esh.html#other
西サハラの地形
アフリカ北西部、大西洋岸にあり、北から時計回りにモロッコ、アルジェリア、モーリタニアに面する地域。大西洋に面してはいるが、サハラ砂漠の西端に位置し国土の大部分は砂漠。緑地は沿岸の狭い地帯とオアシスに限られる。東部は山岳地帯で、大西洋に向かって標高が下がっていく。北部はアトラス山脈の山ろくにあたり岩石砂漠が広がる。山ろく沿いにアルジェリアからモーリタニア、西サハラを横切り大西洋につながるJatワジがある。秋季には水をたたえるため農業に適する。これ以外の地域、特に内陸部はワジはないものの、降水が地下水となってオアシスを形成している。主な都市は以下。
- ラアユーン:アイウン、ラーユーン、ラユーン、エル・アイユーンとも呼ばれる。人口183,691人(2004年時点)。
- ダフラ:ダクラとも呼ばれる。良好な港を持つ臨海都市。
- ブーカラー:1963年豊富なリン鉱床が発見される。
- セマラ:内陸部に広がる都市。
西サハラの気候
ケッペンの気候区分によると全土が高温乾燥の砂漠気候。秋季(9〜11月)に数10mm程度のわずかな降雨がある。干ばつやバッタの被害を受けやすい。
西サハラの経済
国土の大部分がサハラ砂漠で、オアシスでの農業とベルベル人による遊牧が行われる。西サハラ沿岸は世界有数の漁場であり、水産資源に恵まれている。1963年には埋蔵量が100億tに達するといわれるリン鉱床が発見され、その採掘も行われている。しかし領有を主張するモロッコが軍と開拓民を送り込んだため、住民の多くは辺境地へ追いやられ難民キャンプに居住している。
西サハラの歴史
- 1886年:スペインの保護領となる。
- 1912年:イフニとモロッコ南部保護領(タルファヤ地方)と合併してスペイン領西アフリカを形成。
- 1958年:モロッコ南部保護領(タルファヤ地方)をモロッコに変換。
- 1969年:イフニをモロッコに返還。
- 1975年:マドリード協定によりスペインは撤退。
- 1976年:モーリタニアとモロッコ が分割統治。一方、西サハラの分離独立を目指すサギアエルハムラ・リオデオロ解放戦線(POLISARIO:通称ポリサリオ戦線)はアルジェリアの支援を得て武力闘争を開始。アルジェリアの首都アルジェで亡命政権サハラ・アラブ民主共和国(SADR)を樹立。
- 1977年:ポリサリオ戦線の軍事的勝利。
- 1979年:モーリタニアがポリサリオ戦線と単独和平協定を締結、モーリタニア政府は西サハラ領有権を放棄。同年、モーリタニアが放棄した部分をモロッコがすぐさま併合。
- 1984年:モーリタニアがサハラ・アラブ民主共和国を国家承認。
- 1988年:国連事務総長の和平提案をポリサリオ戦線、モロッコとも合意。
- 1991年:国際連合の仲介でポリサリオ戦線とモロッコは停戦し、国連提案にあった住民投票を実施することになり、国連平和維持活動(PKO)として国連西サハラ住民投票監視団(MINURSO)が創設される。しかし遊牧民が多く有権者の認定が困難を極めるため、投票は無期延期となっている。またモロッコ国王モハメド6世の相次ぐ西サハラ訪問、モロッコによるインフラ整備などにより、モロッコは西サハラ領有を既成事実化し、独立を阻止しようとしている。
西サハラの文化
- 旧スペイン領サハラ(もとのリオ・デ・オロ及びサギア・エル・ハムラ地区より成る)。帰属については議論があり、サハラ・アラブ民主共和国(日本は未承認)とモロッコが領有を主張している。国連の「国連非独立地域リスト」(United Nations list of Non-Self-Governing Territories)に1960年代以来掲載されている。
- ほとんどの地域をモロッコが実効支配しているが、モロッコによる領有権の主張は相当数の国から認められていない。サハラ・アラブ民主共和国はアフリカと中南米を中心に国家として承認されているが、日本を含む先進諸国からはモロッコとの関係上国家として承認されておらず、また国際連合にも加盟していない。また、サハラ・アラブ民主共和国はアフリカ連合 (AU) に加盟している。モロッコがアフリカ州の国家の中で唯一AUに加盟していないのは、サハラ・アラブ民主共和国のAU加盟に反発して脱退したため。
- 世界でもっとも人口密度の低い地域のひとつ。
- モーリタニア国境を中心に地雷が埋設されている。モロッコは主にモーリタニア国境に沿って「砂の壁」と呼ばれる防壁を築き、ポリサリオ戦線を排除している。砂の壁はモロッコ国内からつながっている。
- アフリカ連合(AU)加盟国。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年03月05日 最終更新:2007年04月10日