ピトケアン
ピトケアンの基本情報
- 最終更新
- 2007-04-12T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/country/oceania/pcn.html#basic
- 国・地域名(ISO 3166-1による英語名)
- ピトケアン【Pitcairn】。公式の英語表記は、Pitcairn Islands。
- 首都
- (アダムスタウン)
- 国旗
- -
- 人種
- バウンティ号の反乱者のイギリス人水夫とタヒチ系ポリネシア人女性との間に生まれた子孫
- 言語
- 英語(公用語)
- 宗教
- プロテスタント
- 通貨
- ニュージーランド・ドル
- 3文字国名コード/2文字国名コード/数字国名コード
- PCN/PN/612
- 人口/面積
- 46人/47平方キロメートル
- 国歌/国花/国鳥
- ピトケアン讃歌/-/-
- 漢字による表記
- -
- 時間帯
- UTC -8
- ccTLD
- .PN
- 国際電話番号
- -
ピトケアンのその他情報
- 最終更新
- 2007-04-12T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/country/oceania/pcn.html#other
ピトケアンの地形
南太平洋上に浮かぶイギリスの海外領土。ピトケアン島をはじめとする合計5つの島から成り立つ。諸島とは呼ばれるが、一番東のデュシー島から一番西のオエノ島まで500km以上の広がりがあり、その中に5つ島が散在している。また、ピトケアン島以外に人は住んでいないので、実質ピトケアン島がこの植民地の全てである。また、この島の周囲300kmには、他に人の住む島は無い。ピトケアン島は火山性(最高峰が355m)の面積4.50平方kmの小さな島。島の周囲は断崖絶壁に取り囲まれており、荒波が島を叩き寄せているため海岸線はほとんど無く、岩が転がる浜がほとんど。その為、大型の船が島へ接岸するのは難しいとされる。島の北部、海を見渡す丘の方にバウンティ号の反乱のリーダーであるフレッチャー・クリスチャンがいつも居たというクリスチャンケイブと呼ばれる洞窟がある。島の周囲にアダムズ・ロックとヤングス・ロックと言う岩石の小島がある。その他の島は、サンデー島、オエノ島、ヘンダーソン島、デュシー島。
ピトケアンの気候
亜熱帯海洋性の気候。7〜12月は雨季。
ピトケアンの経済
産業は主に物々交換による経済として漁業と農作物を中心に行われており、芋、バナナ、オレンジなどを栽培。また、外貨を稼ぐため切手の販売もある。鉱物資源の開発が経済発展を促す可能性がある。
ピトケアンの歴史
- 15世紀頃まで:ポリネシア人が住んでいた事が考古学的に明かになっている。その後スペイン人によって発見されるまでは無人島。
- 1767年:イギリス船スワロー号のフィリップ・カーレット船長がこの島影を見かけ、最初の発見者であるスワロー号の乗組員ロバート・ピトケアンに因んでピトケアン島と命名。
- 1789年:バウンティ号がイギリスを出航した後、タヒチにたどり着く。目的はパンノキの採取。イギリスへの帰路に水兵による反乱が起こる。反乱を起こした水兵は、タヒチに居付くいたものとピトケアン島に流れ着いたものに分かれた。
- 1790年:水兵たちがピトケアン島に流れ着く。
- 1808年:アメリカの捕鯨船がたまたまピトケアン島の近海を通り、ピトケアン島に上陸。その際は、男性1名、女性が10名、子供が二十数名だったとされる。男性の名前はジョン・アダムスと言い、彼のほかにこの島には成人した男性は住んでいなかった。
- 1814年:島にたどり着いたイギリス船によって、この島がバウンティ号の反乱に加わった水兵達が落ち延びてきた島である事が判明。
- 1829年:ピトケアン島はイギリスの領土であると宣言され、正式にイギリスの植民地となる。
- 1831年:島民はイギリスにより、タヒチに移住させられたが、その後再びピトケアン島に戻る。
ピトケアンの文化
- 空港は設けられていないので、施設の整った病院などに入る場合は、4000km近く離れたニュージーランドまで船で行かなくてはならない。また、定期船と呼べるような物は無いに等しく、急ぎの場合は船をチャーターする必要がある。3か月に1度、ニュージーランドから北米へ向かう貨物船の寄港がある。
- イギリスからニュージーランドに派遣されている高等弁務官がピトケアン総督を兼ねる。
- イギリスの海外領土。
- 住民により島司、立法議会のメンバーが選ばれる。
- ドメインの販売に力を入れており、島政府のWebサイトでもセールスをかけている。
- 島民は熱心なプロテスタントで、アルコールは飲まずタバコも吸わない。食のタブーもあり、豚肉や海老は食べないとされる。これは、反乱者達が島に住み着いてから仲間割れによる島での殺し合いが起きた際、最後の生存者であるアダムズが聖書に助けを求めて以来、キリスト教の教えを熱心に現在に至るまで守っているためといわれている。
- 幼女輪姦事件が話題になった2004年以降、イギリス政府は島へ大規模なインフラ整備の投資を始めた。これは住民を文明化して事件の再発を防ぐためとされるが、小さい島に過剰なインフラ整備が行われ、かなり歪な文明化となっている。
当ページ作成にあたり、参考にさせてもらったリソース
このページに関するご案内
-
この文書は
Keyから
資料集、
地理、
国、
オセアニアとリンクを辿ると、当ページ
ピトケアンに辿り着きます。
- Site mapよりこのサイトの全体的な構造を把握できます。
- 索引よりこのサイト内にある任意のキーワードを含んだ文書を探すことができます。
- この文書のURIは
https://www.7key.jp/data/country/oceania/pcn.html
です。
Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年03月05日 最終更新:2007年04月12日