アルメニア
アルメニアの基本情報
- 最終更新
- 2007-03-05T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/country/e_europa/arm.html#basic
- 国・地域名(ISO 3166-1による英語名)
- アルメニア共和国【Armenia】。公式の英語表記は、Republic of Armenia。
- 首都
- エレバン【Yerevan】
- 国旗
- 人種
- アルメニア人93%、アゼルバイジャン人3%、クルド人1.7%、ロシア人1.6%。
- 言語
- アルメニア語(公用語:インド・ヨーロッパ語族に属し、独立の一語派をなす。独自の文字を持つ)、ロシア語
- 宗教
- キリスト教(東方諸教会系のアルメニア教会/94%)。アルメニアは、国家としてまた民族としても世界で最初に公式にキリスト教を受容した国(301年)。
- 通貨
- ドラム:Dram(AMD)
- 3文字国名コード/2文字国名コード/数字国名コード
- ARM/AM/51
- 人口/面積
- 2,991,360人/29,800平方キロメートル(四国の約1.6倍/旧ソ連邦の中で最小)
- 国歌/国花/国鳥
- 私達の祖国/-/-
- 漢字による表記
- 亜美尼亜
- 時間帯
- UTC +4(DST: +5)
- ccTLD
- .AM
- 国際電話番号
- 374
アルメニアのその他情報
- 最終更新
- 2007-03-05T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/country/e_europa/arm.html#other
アルメニアの地形
カフカス地方南部の内陸国で、山脈と高原が広がる山国。黒海とカスピ海の間にあり、西にトルコ、北にグルジア、東にアゼルバイジャン、南にイランとアゼルバイジャンの飛び地がある。国内北部に小カフカス山脈、東部にザンゲズール山脈と、国土の90%が標高1000m、95%が標高500m以上の高原で、3000m級の山岳も珍しくない。最大の平地は首都エレバンが位置するアララト盆地。アララト山を見上げる位置にあり、トルコとの国境を流れるアラクス川(キュル川)の左岸に広がっている。アララト盆地の高度は800m以上、中央にはセバン湖がある。火山帯に位置するため地震が多発する。森林は少く、急流となった小規模な河川が多い。主な都市は主都のエレバン(世界最古の都市の1つ)、クマイリ、ヴァナゾール。
アルメニアの気候
低地はステップ気候で雨が少く、高地は亜寒帯湿潤気候で雨が多い。首都エレバンの平均気温は11.4℃、年降水量は318mm。1月の平均気温は-5.5℃、8月は25.5℃。ただし気候は変化に富み、夏の最高気温は40℃を超え、冬の最低気温は-25℃を下回ることもある。
アルメニアの経済
主要産業は、農業、工業、宝飾品加工業。都市人口率が65%と高く、農林水産業従事者は国民の8%に過ぎない。農業では綿、ぶどう、野菜の栽培が盛ん。穀物としては小麦と大麦を産する。上質のワインと高級ブランデーの製造も行なう。地下資源も豊富で、銅、亜鉛、石灰石を産出。エネルギー資源は乏しく外国に依存。
主要貿易品目
輸出は宝石・貴金属、卑金属、加工食品。輸入は鉱物製品、宝石・貴金属、卑金属。
主要貿易相手国
輸出はイスラエル、ベルギー、ロシア。輸入はロシア、ベルギー、イスラエル。
アルメニアの歴史
- 紀元前4〜3世紀:東アルメニアにエルヴァンド朝成立。
- 〜紀元前1世紀:西アルメニアにソフェネ成立。
- 紀元前190年〜後10年頃:アルタシェス朝古代アルメニア王国成立。
- 1〜5世紀:アルサケス朝の支配、ローマとペルシアにより分割。
- 301年:アルサケス朝のトルダト3世、キリスト教に改宗。
- 5〜7世紀:サーサーン朝ペルシアとビザンツ帝国による分割統治。
- 652年:アラブ勢力により征服。
- 885年頃〜1045年:バグラト朝成立。
- 11世紀:セルジューク朝諸政権により征服。
- 1050年頃〜1375年:キリキア(アナトリア南東部)にアルメニア系王朝。
- 14〜15世紀:ティムール朝、カラ・コユンル朝、アク・コユンル朝による支配。
- 16〜18世紀:オスマン朝とサファヴィー朝によるアルメニア争奪戦。
- 1828年:トルコマンチャーイ条約により東アルメニアがイランからロシアに割譲。
- 1918年5月:アルメニア共和国(第一共和国)成立。
- 1920年:アルメニア・ソヴィエト社会主義共和国成立。
- 1922年:グルジア、アゼルバイジャンと共にザカフカース社会主義連邦ソヴィエト共和国を形成、ソ連邦結成に参加。
- 1936年:アルメニア・ソヴィエト社会主義共和国成立。
- 1988年2月:ナゴルノ・カラバフ帰属を巡るアゼルバイジャンとの抗争が表面化。
- 1990年8月23日:共和国主権宣言。
- 1991年9月21日:共和国独立宣言。ソビエト連邦より独立。
- 1991年10月:テル・ペトロシャン大統領就任。
- 1992年3月2日:国連加盟。
- 1994年5月:アゼルバイジャンとナゴルノ・カラバフ紛争に関し停戦協定締結
アルメニアの文化
- 宗教では単性論教会のひとつであるアルメニア教会の信者が大部分を占める。ほかにロシア正教やカトリックの信徒がいる。301年に世界ではじめてキリスト教を国教化したことで有名。
- アルメニア人は自らをハイ(複数形はハイク)、国をハヤスタンと呼ぶ。またノアの箱船が漂着したというアララト山(ビュユックアール山)がよく知られている。このことから、アルメニア人はノアの子孫だとの説が生まれた。
- 国土は小さいが、ユーラシア大陸の東西を結ぶ要衝にあることから、古くから紛争に巻き込まれ続けてきた。
- 「商業に於いて、ユダヤ人が3人いても1人のアルメニア人に敵わない」と称されるほど商才に長けているとされる。
- 古くからワインの製造が盛ん。ブランデーも有名でアルメニア・コニャックと呼ばれる。
- ナゴルノ・カラバフをめぐってアゼルバイジャンと激しく対立している。
- 独立国家共同体加盟国。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年03月05日 最終更新:2007年03月05日