ナイジェリア
ナイジェリアの基本情報
- 最終更新
- 2007-04-09T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/country/c_africa/nga.html#basic
- 国・地域名(ISO 3166-1による英語名)
- ナイジェリア連邦共和国【Nigeria】。公式の英語表記は、Federal Republic of Nigeria。
- 首都
- アブジャ【Abuja】(1991年12月ラゴスより遷都)
- 国旗
- 人種
- ハウサ人、ヨルバ人、イボ人等(民族数は250以上と推定)
- 言語
- 英語(公用語)、各民族語
- 宗教
- イスラム教:北部中心、キリスト教:南東部中心、伝統宗教:全域
- 通貨
- ナイラ:Naira(NGN)
- 3文字国名コード/2文字国名コード/数字国名コード
- NGA/NG/566
- 人口/面積
- 137,253,133人/923,768平方キロメートル(日本の約2.5倍)
- 国歌/国花/国鳥
- 起て同胞、ナイジェリアの呼び出しに遵って/-/カンムリヅル(ツル科)
- 漢字による表記
- 尼日利亜
- 時間帯
- UTC +1(DST: なし)
- ccTLD
- .NG
- 国際電話番号
- 234
ナイジェリアのその他情報
- 最終更新
- 2007-04-09T00:00:00+09:00
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https://www.7key.jp/data/country/c_africa/nga.html#other
ナイジェリアの地形
アフリカ中西部に位置し、北はニジェール、北東はチャド湖を挟みチャド、東はカメルーン、西はベナンと国境を接し、南はギニア湾に面する。中央のジョス高原と東部国境のアダマワ高原を除けば、海抜500mを越えない平坦な地で、中央部をニジェール川が南北に貫流する。また、その河口に巨大なデルタを形成している。
ナイジェリアの気候
南部は高温多湿の熱帯雨林気候で5〜10月の雨季には特に雨量が多い。マングローブが生い茂るため熱帯風土病も多い。北上するにつれて乾燥し雨季が短くなる。北部はサバナ気候で、国境付近では乾燥気候となる。
ナイジェリアの経済
世界有数の産油国であり、肥沃な土壌ではトロピカルフルーツや野菜の生産が盛んだったが、総歳入の71%を石油に頼る過度の石油依存により、カカオを除く在来の農業は衰退。自給作物としては米、トウモロコシを栽培し、家畜を飼育する。工業では伝統的な手工業や軽工業に加え、1970年代後半からは石油精製や鉄鋼産業が始められた。最大都市ラゴスはアフリカ最大級の大都市だが、集まる人口に既存の都市機能が追いつかず、渋滞によりバス・タクシーなど交通機能は麻痺寸前になっている。
主要貿易品目
輸出は燃料、天然ガス、工業製品。輸入は食糧、燃料・エネルギー。
主要貿易相手国
輸出はアメリカ、インド、ブラジル、スペイン。輸入はアメリカ、イギリス、ドイツ、中国、イタリア。
ナイジェリアの歴史
- 紀元前5〜2世紀:国土の中央部のジョス高原において、土偶で知られる初期鉄器文化であるノク文化が繁栄。
- 9世紀頃:国土の南東部、ニジェール川の三角州の付け根付近にあたるイボ=ウクゥにおいて青銅器製品を多量に伴う王墓が造られる。
- 10〜15世紀頃:国土の南西部にはイフェ王国と、エシエ文化が栄える。
- 14〜18世紀:南部にベニン王国が繁栄。彼らは15世紀末に来航したポルトガル人から銃を取り入れ軍事力と王権を強化した。
- 17〜19世紀:ヨーロッパの貿易商人たちがアメリカ大陸へ送る奴隷の増加に伴い海岸に多くの港を建設。彼らはナイジェリアの海岸部を「奴隷海岸」と呼んだ。
- 19世紀:イギリス軍が奴隷売買を禁止し、商品貿易に取ってかわる。
- 1886年:イギリス政府はジョージ・トーブマン・ゴールディー卿らによる貿易会社を「王立ニジェール会社」とし諸特権を与え、ナイジェリア一帯の支配を開始。
- 19世紀末:ベニン王国は周囲のハウサ、ヨルバの王国もろともイギリスに滅ぼされて、ナイジェリアは植民地化される。
- 1903年:フラニ帝国が滅亡し、イギリスとフランスに分割される。
- 1901年:ニジェール会社は北ナイジェリアと南ナイジェリアの二つの保護領に再編成される。
- 1914年:一つの保護領に統合。
- 1960年10月1日:それぞれが広範な自治権を有する3地域の連邦制国家として、完全独立を果たす。この際はイギリス女王を国家元首とする君主国(コモンウェルス)。
- 1960年10月7日:国連加盟。
- 1963年:連邦共和国憲法を制定し、大統領制に移行。
- 1966年:軍部によるクーデターが勃発、軍事政権樹立。連邦政府への中央集権化を図るため地方を12州に再編。
- 1967年:東部地域の有力民族であるイボ族がビアフラ共和国を建国し独立を宣言したことを受け内戦(ビアフラ戦争)になるが、1970年、イボ族の敗北で終結。
- 1975年:軍の民政移行派(現大統領オルシェグン・オバサンジョらを含む)によるクーデターが成功。
- 1977年:オバサンジョは新憲法を制定。
- 1979年:大統領選挙でシェフ・シャガリが当選し文民大統領が誕生。
- 1983年:オバフェミ・アウォロウォが当選するも、ムハンマド・ブハリ将軍ら軍政派によるクーデターで再び軍政。
- 1985年:再度クーデターが起きイブラヒム・ババンギダ将軍が実権を掌握。
- 1990年:新憲法で1992年の大統領選挙が約束され、疑問視されつつも実現したが、ババンギダは不正があったと主張しやり直させた。
- 1993年6月:再選挙で実業家モシュード・アビオラが勝利しまたもババンギダは不正を主張したが、8月引退。
- 1993年11月:1980年代の2回のクーデターにも関ったとみられるサニ・アバチャ将軍が実権を掌握した。
- 1998年:告示された大統領選挙で候補者はアバチャ一人だけだったが、選挙直前にアバチャは心臓麻痺で死去。
- 1999年:新憲法が制定され、民政へ移行。かつてのクーデター軍人オルシェグン・オバサンジョが大統領に当選。
- 2001年:民主派の希望、司法長官ボラ・イゲが暗殺される。
- 2003年:オバサンジョ大統領再選。
ナイジェリアの文化
- 乾燥地帯でキャラバン貿易を通じてイスラム教を受容した北部と、熱帯雨林地帯でアニミズムを信仰し後にヨーロッパの影響を受けキリスト教が広がった南部との間に大きな違いがある。また、南部のニジェール川デルタでは豊富に石油を産出するが、これをめぐり内戦や内紛が繰り返されるなど国内対立のもととなっている。
- 国名・周辺の地域名はラテン語で「黒」を意味する【niger】に由来している。ニジェール【Niger】とナイジェリア【Nigeria】は本来同じ地域を指していたが、旧宗主国を異にする両地域が別々に独立した際に現在のように別の国を指すこととなった。
- 高度な英語教育がなされ、また電子機器やプログラミングなどに関する高等教育も盛ん。ただ、高い教育を受けた卒業生たちの多く(4分の1以上)は失業状態にある。そのため、多くの若者が不法移民輸送や麻薬密輸ほか、インターネットカフェから世界中に迷惑メールを配信するインターネット詐欺(いわゆる「ナイジェリアの手紙」詐欺)など犯罪にかかわる状態があるとされている。
- ナイジェリアは西アフリカ最大の国でアフリカの総人口の1/5〜1/4がナイジェリアに居住する。
- ナイジェリアでは方言を含め521の言語が確認されているが、現存するのは510であると考えられている。初等教育では各部族の母語によって授業が行われるが、高等教育においては英語のみを使用。
- 10月1日はナショナルデー。1960年のこの日、ナイジェリアがそれぞれ広範な自治権を有する3地域の連邦制国家としてイギリスから完全独立を果たしたことにちなむ。この際はイギリス女王を国家元首とする君主国。
- イギリス連邦加盟国。
- イスラム諸国会議機構加盟国。
- アフリカ連合(AU)加盟国。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年03月05日 最終更新:2007年04月09日